グローバル化対処法 その1

素人の内需拡大策

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グローバル化は

1 国と国との関係が政治的ではなく、経済的に結ばれる

2 人、物、金が国境を越えて移動する

3 経済活動における先進国、後進国の格差が少なくなる

という性質があると思います。そこで、

企業は安い労働力を海外に求める事ができるし、海外の安い商品を輸入することができる、という都合の良い面はありました。敢えて良い面と書かないのは、裏を返せば国内の高い労働力、国内の高い製品は見捨てられるという切実に感じている問題に行き着くからです。

そこで、グローバル化に対処するためには海外の労働者の賃金と同じ安い賃金に甘んじるか、海外の労働力では代替えのできない仕事をしなければならないことになります。商品生産で言うなら海外のコストと同じコストで物を作るか、日本でしかできない物を作らなければなりません。

まず労働者の仕事について考えれば、かつて「箸を使う生活で鍛えられた日本人の手の器用さは抜群で、精密な製品は日本の独壇場だ」という考えがありました。だから日本の産業は安泰だし、そこで働く労働者も安心だ。しかしこれは高度成長を背景にした自信過剰な考えで、人間の能力にそんなに大きな差があるはずがありません。要は経験者が目標を示して指導すれば、呑み込みの早い、遅いはあるかもしれないけれども世界中どこでも同じものができるはずです。

逆に考えれば、特定分野の技能者が指導者として仕事をする限り海外の労働力との競争にはなりません。少なくともその技能者は安全です。90年代後半、日本の半導体技術者が週末韓国や中国に闇の技術指導に通ったという話がありますし、最近ではユニクロの中国での衣類の縫製管理に日本の熟練者が従事するようになり品質が大幅に上がった、という事も聞きます。

しかし、これはノウハウを売っているようなものですから、売るノウハウがなくなれば成り立たなくなります。半導体技術にしても、衣類の縫製にしても国内にトップクラスの技術がなくなれば指導を仕事にすることもできません。10年後中国人の熟練者が縫製管理をすることは十分考えられます。その可能性を理解したうえで、国内に数は多くなくてもトップクラスの技術を残す仕組みを作らなければなりません。

この仕組みは営利が目的ではないので民間が作ることはできません。政府が先端技術であれば国家プロジェクトを設定して、民間企業の技術開発を促進する、生活財であればコンペやコンテストを数多く設立して、優秀作を買い上げる、これによって職人が技能を極めつつ、自分の仕事の付加価値を高められるようにする、といった仕組みが有効でしょう。

参議院選挙に向けて各党の政権公約が発表されていますが、「産業構造の変革」は20年前から言われているのですから、お題目ではない具体策を聞きたいものです。

グローバリゼーション

素人の内需拡大策

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グローバル化という用語を耳にするようになったのはいつごろからでしょうか。以前は国際化(インターナショナリゼーション)という用語を使っていました。国際社会の仲間入り、国際人、など国際化は戦後日本の目標であり、私自身の憧れでもありました

しかし、グローバル化は当初の良いイメージは余り続かず、日本経済の低迷や9.11テロなど、グローバル化の弊害が多く現れるようになりました。グローバル化は良い事なのでしょうか、悪い事なのでしょうか、これは私の中の疑問でした

もともとグローバル化が国際化に取って代わったのは1990年代前半だと思います。多分91年末にソ連が崩壊し、自由貿易圏が急拡大したこと、国際航空路の拡大、携帯電話・インターネットの普及でコミュニケーション障害が消滅したこと、などが背景にあったのだと思います。

どれをとっても後戻りできない時代の流れでしょうから、グローバル化からは逃れられない、とするならグローバル化を正しくとらえて、的確に対処したい。たとえそれが悪い事(日本にとって都合の悪い事)だとしても、対処法があれば状況を改善することはできるでしょう。

まず国際化に取って代わったグローバル化ですが、そこには大きな違いがあります。国際化はあくまで国家間の活動に関していましたが、グローバル化では国家はあまり意識されず、企業や団体・個人の国境を越えた活動に関しているようです。要するに以前は国の中で閉じていた活動が、国境を越えて広がるわけですから、当然企業は安い労働力を求め、日本の場合は韓国から中国、最近はベトナムへと進出していきました。そしてこれだけに留まらず、国境を越えて労働単価が安いほうに均一化してしまいます。これが最近のワーキングプアの真の原因だと思います。

さて、このグローバル化の性格を押さえた上で対処法を考えたいのですが、話が長くなるので私の考える具体的な対処法は次回にしましょう。

時代の進歩

社会問題

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1909725日、フランス人の飛行家ルイ・ブレリオが単葉機「ブレリオ11」を駆って初めて英仏間のドーバー海峡を横断したそうで、それから100周年を記念して今月25日、フランス人パイロットのエドモン・サリさんが当時の同型機を使って海峡の横断に成功した、との記事が新聞に出ていました。

ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功したのが19031259秒間260mの飛行であったのが、6年後には直線距離34Kmのドーバー海峡を越えたのだから、実に130倍以上の性能向上をしたことになります。そしてリンドバークがニューヨーク-パリ間5,800Kmを無着陸横断したのが、さらに18年後19275月)で170倍。そしてさらに42年後に人類は月着陸に成功するわけです。

今でこそ飛行機での旅行は当たり前ですが、「機械が空を飛ぶなど、科学的に不可能」と多くの大学教授や科学者が考えていた時代から、この約100年間の飛行技術の進歩は驚くばかりです。飛行技術だけに限らず、自動車にしても、コンピュータ、テレビも、あらゆる工業製品の技術進歩は確実であり、気がつくと大きな進歩を遂げています

その理由はいろいろあるでしょうが、一つの理由は技術がおおむね公開されていて、競争があるからではないでしょうか。

振り返って社会の進歩を考えた時に100年前とどれだけ大きく変わったのでしょうか1909年、日本は明治42年。日清・日露の大戦に勝利して、韓国併合を決定するなど、帝国主義国家の道を邁進し始めた頃です。当時は国民に政治の選択権はなく、政治家と官僚が社会の将来を決定していた時代でしょう。しかし100年後の現在も責任感のない政治家と独りよがりの責任感にあふれた官僚が国の将来を決定している事に変わりはなく、技術の進歩ほどには社会は進歩していません。そろそろ社会も意思決定の過程を公開し、いくつかの考え方を競争させて、より良いものに近づくという時に来ているのではないでしょうか。

Rocket science

英語体験

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ロケット サイエンス、会話の中では100%否定形で使われます

つまりThis isn't rocket science. Let's try! 大したことじゃない、やろうョ!とか、That's not rocket science.ありゃ、(言われているほど)大したことじゃない。といった風に使います。

720日(日本時間21日)はアポロ11号が月着陸に成功した1969年から40年目でした。40年前宇宙開発は科学の先端、アメリカとソ連の独壇場でした。そのころロケットを打ち上げる事は科学的にも経済的にも正に難事業だったことでしょう。

アメリカは冷戦の中でソ連に大幅に遅れをとった宇宙開発を一気に挽回し60年代末までに人類を月に送る、とケネディー大統領が宣言をして国を挙げてマーキュリー計画(1人乗り)、ジェミニ計画(2人乗り)、アポロ計画(3人乗り)と開発を進めました。ひと月か二月に一度、世紀のイベントが行われるようなもので、毎回興奮したことを覚えています。

1980年頃宇宙開発の拠点の一つであったアラバマ州ハンツビルで仕事をする機会がありアポロ計画の3段式ロケットであった巨大なサターン5型を見る機会がありました(全長110メートルなので横に寝かされて展示されていました)。この重量3,000トンのロケットが空を飛んだのかと思うと、正にロケットサイエンス!アメリカへの自動車輸出が盛んになっていた時代ですが、まだまだアメリカとの差は歴然と感じました。

話戻って、要するにそんな大変は宇宙開発に比べれば、こんなこと大したことじゃないよ、という言い方がいかにも明るく、好きな表現の一つです

Stretch the truth

英語体験

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ストレッチ トゥルース 直訳すれば「事実を拡大する」となりますが、仕事の中で聞いた時の私の印象は「事実を良く解釈しよう」といった感じでした。というのは商品のプレゼンテーションについて米国人と話している時に出た言葉だったからです。

彼は「日本人はこれはできない、これをするときにはこういう制限がある、と何でネガティブな表現を使うのだろう」と疑問に思っていました。私は、商品の細かいところまで良く知っていることを示したいからだ、後からお客さんにこればできないじゃないかと言われたくないからだ、と説明しました。しかし、確かに相手が商品を買うかどうかもわからない時に、買ってから文句が出ると困ると心配するのはおかしい事です。しかし日本の技術者はよくこういう説明の仕方をします。

日本人は相手と自分は同じだ、と考えやすいのではないかと思います。自分の説明は100%聞いてもらえる。自分の問題意識は100%相手に伝わる。私がこれは良いと思っているのだから、相手もわかるはずだ。わたしはこれをこんな風に使うので、相手も同じように使うはずだ。というように意外と決めつけてかかる傾向にあるように思います。しかし実際には同じ人などいません

一方、もともとそれぞれの人は違うと思っている米国人は、ある程度相手の問題意識が違うことを前提にプレゼンするので、相手の関心を探りながら説明をします相手の関心がはっきりしたらその方向に話を広げていきます。ストレッチしてゆくわけです

同じことを「これができます、こういう使い方でこんなことができます」と説明することもできます。こうすれば相手の関心事に触れた時に「じゃあ、こういう事はできない?」と核心に迫ることもできるでしょう。たとえ期待されたことができなくても、少なくとも相手の関心事ははっきりするのでリターンマッチを企てることができるでしょう。

「ポジティブに!」というのは簡単ですが、ストレッチ トゥルース 事実を良く解釈して説明しないとポジティブには聞こえないでしょう。

朝の挨拶

英語体験

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先日の大リーグオールスター戦に出場したイチロー選手が始球式に登場したオバマ大統領と出会って、「What's up!(よう、元気!と言おうとしたんだけれども、とても言えなかった」といったことを語っていました。アメリカ人は大統領にもWhat’s up!ぐらい言いそうですが、さすがのイチロー選手も日本人だということでしょう。

外国人と仕事するようになって、最初の関門は挨拶です。学校の英語教育で習う挨拶がGood morning. Good afternoon. Good evening.と現実的でないせいか、第一歩から硬くなってしまいます

仕事で出会ったアメリカ人にGood morning.と挨拶された記憶はないように思います。西海岸の人はまずHi!(やあ)かHey!(よう)でしょうし、南部の人はHowdy(ハウディ よう)というのもよく聞きました。どちらにしてもこの後に必ず相手のファーストネームを付け加えるのが重要です。

日本人は名前を呼ぶことが少ないので、名前を忘れなくなれば朝の第一歩もスムースに始められるようになります。それと挨拶のときには口角をあげて、相手にアイコンタクトすることもお互いの気持ちを和らげるのに有効です。

また仕事仲間にGood morning, Mr. Smith.などと教科書的に言わないほうが良いでしょう。あえてよそよそしく振舞いたい場合を除けば仕事仲間にMr. Ms.は付けないと知合いはアドバイスしてくれました。

メールの書出しも同じです。ときどき社内のメールでDear Mr. Smith,のような書出し出会いますが、本来効率を重んじるメールでは私の米国人の知合いの日常メールの場合100Hi Jim,や単にJim,で始まっていました。

書くこと

はじめに

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暗い話の多い昨今の社会情勢を打開するため、口角を上げ独創的な具体策を議論するつもりで、今年の111日に始めたこのブログも6カ月を迎える事ができました。専門的な事をコウマイに書くのではなく、生活の中で経験したこと、感じた事、考えた事を書こう。しかし、けして日記風のつれづれ書きにならないように、また即物的なお得情報として「消費」するのではなく、何かしらの参考として「読んで」いただけるような内容を目指したつもりですが、どの程度、皆さんに読んで、楽しんでいただけるかは不安でした

お陰様で6カ月間の累積アクセス数は5,000を超え、継続的に関心を持って読んでいただいている方がいるということが、励みになっています

50代後半に入り、今までの経験のうち参考になりそうなことを整理したい、ぼんやりした考えとして持っていたことに具体的な形を与えたい、などの動機でテーマを選んで書いてきました。私としても気になっていた机の引き出しの整理が出来たような、年末の大掃除が終わったような安堵感を感じています。

人間は考える動物だと言われていますが、頭の中だけで考えがまとまる人は一部の頭脳明晰な人に限られるのではないでしょうか。やはり書くことで考えが熟成され形としてまとまったり、書くことで見直しができ、頭の中で思っていたこととは違った形にまとまったりします。しかし書くことも、読んでくれる人がいなければなかなか続きません。まさに「お陰様」だと思います。

さて、7カ月目に入り新しいテーマとして私の「歴史認識」と「英語体験」を追加しようと思います。歴史認識は日中戦争から太平洋戦争そして戦後復興へと続く日本の近代史をどう考えているかです。戦争に反対する以上、自分自身の歴史認識を整理したいと思っていました。英語体験は社会人になって初めて訪れたアメリカ、いろいろと苦労した中には教科書に書いていないこともあるので、文化の違いを含めて書いてみたいと思います。乞うご期待!

公共事業の企画責任

社会問題

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国立メディア芸術総合センター(仮称)」通称アニメの殿堂は事あるごとに話題になりますが、その有効性の議論とは別にその企画のされ方を知って、企画責任の不明瞭さに驚きました

朝日新聞によれば、「アニメやマンガ作品について、セル画、原画と合わせてアイデアがどのように形になっていくかを見せる。ゲームやメディアアートはCGなど先端テクノロジーを駆使し、来館者が五感で体験する。今のところ、そんなイメージ」なのにもかかわらず、「文化庁の試算によると、基本的な運営費は年間35千万円。これに対し、収入の柱となる入場料収入の見込みは『1250円、年間60万人で15千万円』。2億円の差額はイベントへの会場貸し出しやグッズ販売、館内スペースの命名権販売などで埋める」のだそうです。

書類上は手抜かり無いように見えます。しかしまだイメージしかない事業の採算性がこのように計算されていること自体、おかしくないでしょうか。これでは高速道路などの需要予測と同じで、結果からのつじつま合わせとしか思えません。これが結果の責任を取らないお役所仕事の典型でしょうか

ここは民間のビジネス感覚にならう必要があるでしょう。つまり公共事業の計画にあたっては机上の効果予測だけでなく、効果測定の指標を事前に設定し、その指標に基づいて、毎年効果測定を行い、結果を責任部署が発表する。計画と効果の乖離具合をその部署の業績評価に関連付け、さらに万一効果が計画に達する見込みがない時には計画立案時の責任者にさかのぼって責任を追及する、もちろん計画以上の効果が出た場合には特別報酬を与える、としてはどうでしょうか。

この普通のビジネス感覚が公共事業の企画でも必要です。これはすぐに始められる、無駄のない公共事業への前提だと思います。

ひたすら線を引きなさい

助けられた言葉

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ミュージシャンになったり、医者や弁護士になったり、若いころの思いを遂げて幸せな人がいます。しかし多くの場合、思い通りの道に進めるとは限りません。私も工業デザイナーになりたいと思った時があり、先生の紹介であるデザイン事務所で体験学習のような事をさせてもらった事があります。

工業デザイナーですから、何かアイディアに富んだ新しいものをデザインしなけらば、と意気込むわけですが、指導にあたってくれたSさんは「事務所の手伝い仕事の合間に、車の写真を忠実に描き移して」と言って自動車雑誌を渡してくれました。

見よう見まねで雲形定規や楕円定規を使いながら描きましたが、写真を描き移すといっても、なかなか簡単にはいきません。23日してSさんが来て、私の絵を手直ししながら「線が汚いね、ひたすら線を引きなさい」とアドバイスしてくれました。

大工さんのカンナ引きは、材木の端から端まで薄皮が切れないようにスーと引かなければいけない。それができるまで、ひたすら修行しなければいけない。デザイナーが絵を描くのも同じで1本の線がスーと引けなければいけない。その為には朝から晩まで線だけ書き続ける修行をしないといけない、というのです

高校、大学と頭で考えて要領を磨いたものの、一つの事を自分のものにするために手を動かして、体に覚えさせるという経験のなかった私にはハッとさせられた言葉でした。それ以来、手を動かす事をおっくうがらないように努めました。

デザイナーの道には進めませんでしたが、何か困難の時には頭でわかっただけでなく、体に覚えた事が助けになったように思います。

アニメの興隆

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私が初めて石膏デッサンをしたときに、先生に「線を描いちゃだめ、どこにも線はないでしょ」と言われて、戸惑いました。先生は石膏像には面の傾きの違いによって光の陰影の差はあるが、どこにも線はない、というのです。

確かに英語で絵を描くのはスケッチなどを除けばDrawingではなくPaintingです。色を塗るわけですしかし一方日本では日本画や浮世絵などほとんどの絵は、線で描くのが普通です。これは東洋には文字(線)を描く道具としてペンが生まれなかったため、筆が濃淡をだけでなく線も描くことになったからだという説もあります。

どちらにしても、線で絵を描くことが普通であった日本で、アニメーションが隆盛なのは、どこかに通じるものがあるように思います。つまり少し時間をずらしたフレーム毎の絵(セルロイドのシートに描いた線画)を順々に写真に撮るセルアニメの手法は、鳥獣戯画などの絵巻物と共通しています

一方西欧ではアニメーションといっても人形を使ったものなど別種のアニメーションが盛んです。最近の作品でお勧めは、アレクサンドル・ペトロフ監督(ロシアのアニメ作家)の「老人と海」です。これはガラス板の上に指を使って各シーンの最初のフレームの絵を直に描き、撮影し、それを一部消して、次のフレームを描き、撮影し、また一部を消して、という作業を繰り返す、絵画アニメとも呼ぶべき作品です。シーンごとに1フレーム、1フレームを手で描くという手法ですから、分業もできないでしょうし、40分の制作に4年かかったそうです。

その根気にはただただ頭が下がるだけでなく、出来栄えが素晴らしい。カジキと老人の死闘が伝わってきますし、カリブ海の灼熱の太陽の光が画面にあふれています

この作品は2000年アカデミー短編アニメーション部門でオスカー受賞を受賞しています。幸いDVDが出ているので(多少値が張る)見ることは可能です。

「アニメの殿堂」議論から思わぬとばっちりを受けたアニメ界ですが、アニメ界の発展のためにはハコモノの前に世界の独創的なアニメーションを観る機会を増やすことこそ必要だと思います。美術の授業でアニメーションはあるのでしょうか?

政府開発援助

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国債及び借入金残高が850兆円(200812月末現在、財務省発表による)と言われる日本で、国際会議のたびに何100億円と途上国援助が発表されると、その気前の良さに背筋が寒くなるのは私だけでしょうか。税収(収入)の何倍もの借金をしていながら、新たな借金にためらいを持たず寄付を続ける政府高官はさぞや高潔な精神の持ち主でしょう

とは言いながら、「日本の戦後復興がガリオワ、エロアの米国からの支援で始まった」と歴史の授業に教わった身からすると、応分の、効果のある(感謝される)途上国援助は先進国の義務だと思います。また日本の海外援助は戦後賠償として始まった面もあり、この点からも継続的な取り組みは必要でしょう。

そこで、このODAと言われる政府開発援助を「内需拡大」策の一環として挙げるのは、前に述べたように東南アジアを含めた経済圏の発展が日本のこれからの発展に必須だからという理由ですが、これは太平洋戦争時の大東亜共栄圏的発想になってはもちろんいけません。相手国の「自律的な発展」が基本です。

しかし現在にいたる日本のODAは次のような指摘を受けています。

1)  途上国の実情に合わないインフラ整備は日本企業への利益還流を目的としている(これが赤字財政の中でODA予算が増えた隠れた理由といわれている)

2)  平和憲法の下、外国政府に対する間接的な影響力行使を目的にしている(開発支援は名ばかりなので各種不正行為の温床になる)

3)  物の建設にはお金が出ても、運営・保守にはお金が出ないので維持管理が出来ない(自律的発展につながらない)

一方、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス氏の提唱するソーシャル・ビジネスは途上国の新しい取り組み方だと思います。彼は「寄付は一時的な物でお金がなくなれば終わりだが、同じお金をソーシャル・ビジネスに投資すれば、ソーシャル・ビジネスは利益ではなく、人々の幸福を追求するので多くの貧しい人々の生活を改善し、経済的独立を進める事ができる」と言います。

自律的発展のための開発援助に、このソーシャル・ビジネスの考え方は応用できると思います。つまり従来のダムや道路などのインフラ整備や競技場などの施設整備も必要でしょうが、まず学校、教育教材、教育者の育成、井戸や雨水の簡易浄化設備の普及、太陽電池など維持費のかからない自家発電設備、農作物の収量増加の為の技術支援など、日本の最新設備・機械を持ち込むのではなく、相手国の現場水準に合った小口の支援を、ビジネス感覚を持って行えば、自律的な発展が継続的に起こり、感謝のされる援助になるでしょう。そしてひいては「内需拡大」につながると思います。

グラフの色を決める

ちょっとした対策

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仕事でプレゼンテーションを作る時に、内容で悩むのはもちろんですが、グラフを作る時のグラフの色をどうするかで悩みます

例えばエクセル(Excel)で5、6種のアイテムの数量を比較する棒グラフを作ろうとすると、各アイテムの色を指定する必要がありますが、ウインドウズ標準の赤・緑・青(RGB)カラー指定機能で色合いの良い5、6色を指定するのは大変です。どうしても派手になったり、同系色で違いが目立たなくなったりしてしまいます。

Excel2007では色の組合せを含めたグラフのスタイルを選べるようになっていますが、どれも好みに合いません。絵具を使うのであれば試行錯誤で好みの色を作り出す事ができますが、RGBの値を0から255の数値で指定するデジタル方式では赤、青、緑以外の組合せ色(黄色はR=255G=255、B=0)はどのようなRGB配分で作れるのかが分かりません

ということで、私が利用しているのは試行錯誤の上自分で作った12色の色相環パレットですこれを使ってベースの色を決め、その色相に対して彩度を決め、明度をいくつか選んで各アイテムの色にします

黄色から赤、紫までの暖色は活発で元気な感じがでますが、ビジネスのプレゼンテーションには向かないように思います。私は黄緑から青、青紫までの寒色か緑系の中間色を好んで使います。

彩度が高いと鮮やかでポップ、低いと渋く落ち着いた感じになります。

ポイントは同系色の中で色を選ぶこと。色相の違う色を組み合わせるのは極力避け、彩度と明度もどちらか一方は固定するほうが安全です。どうしても色相の違う色を組み合わせたい時は、RGBの数値の総和はおおむね光の量に対応するので、RGBの総和が同じになるような色を選ぶ事です。結果的に赤と黄色や青と紫は組み合わせ出来なくなります。

一度RGB指定と色相環の関係を理解しておけば色の悩みが減り、本来のプレゼンテーションの組み立てと内容作りに集中できます。

旧小笠原伯爵邸

お勧め

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伯爵邸でスペイン料理を、という誘いに乗って江戸時代の小倉城主、礼法で有名な小笠原家の下屋敷跡地に昭和2年に小笠原長幹伯爵が立てたスペイン風洋館に行ってきました

場所は新宿区の東、早稲田と市ヶ谷の中間、都営地下鉄の牛込河田駅の隣です。あたりは都内の中心とはいえ道路は狭く、住宅やマンションが密集しているのですが、洋館は緑に囲まれ別世界の佇まいです敷地は庭園も含め1,000坪ですが、下屋敷の敷地は2万坪あったそうです。

設計はジョサイヤ・コンドル(三菱財閥岩崎久彌邸等)門下生曾禰根達蔵との事で、岩崎邸ほどではないものの十分に精を尽くした内外装でした。しかし建物の運命はだいぶ違い米軍の接収解除後に東京都の中央児童相談所として使用されたものの、その後用途が無く、一時は取り壊しも検討されたそうです

確かに建物は日々手入れしないと、いたんでしまい修復には多大な費用がかかります。行政予算は新築にはついても保守には付きにくいので、大きな会社の所有でない限り古い建物は取り壊されてしまうのが運命でしょう。そんな中に合って小笠原伯爵邸は駅に隣接しているという好立地もあり、レストランを経営する会社が貸し出しを受け修復工事、内装・家具・什器を整え直して、2002年にオープンしたそうです。

最近近代の建物の保存が話題になりますが、公費で図書館や美術館ばかりに改装するわけにもいかないので、このような民間活力を使ったレストランなどへの利用は新しい取り組みとし有効なのではないでしょうか。

葡萄棚をモチーフにした玄関のひさしは手が込んでいて、伯爵家を訪れた客がまず驚き喜んだ事と思います。そして往時開かれただろう晩さん会を思いながら、おいしく食事をとるのは豊かな時間でした

北海道の台湾人旅行者

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北海道の十勝平野へ西から入る狩勝峠の中腹にあるサホロリゾートのホテルに夕食を終わって着いた夜の九時過ぎ、峠特有の霧に包まれた中、散策から帰ってきたと思われる一団に出くわしました。後でホテルの人に聞いたところ台湾からの観光客の人たちとの事でした。不況の中でも台湾、韓国からの観光客は多いそうです。

道路のセンターラインの3つ先の句切れ目が見えないような濃霧の中を峠越えしてきた私には「何をこんな濃霧の中散歩しなくても良いのに、何も見えないじゃないか」という気持ちでしたが、一行はホテルの玄関前で楽しげに語りあい、なかなかホテルに入ろうとしません。霧に包まれた森の散策は台湾の都会に住む人たちには幻想的だったのかも知れません。

チェックインを済ませ、部屋へ向かいながら思いました。

“面白い/面白くない”は人によって違う。自分にとって当たり前で興味がなくても、そこにしかない物であれば、人をひきつける力がある

温泉、雪に限らず外国人が楽しめるものはある。集客のターゲットを国内に限定せず海外まで広げれば、日本の観光地の可能性は広がる。

しかし、合わせてホテル内の案内など外国語のサインの無いのが気になりました。何かのサインを掲げる時には日本語と合わせて英語、韓国語、中国語を掲げられると良いでしょう。

政府は数年前に2010年に訪日外国人旅行者数を1,000万人にする目標を掲げビジット・ジャパンというキャンペーンを官民一体(国土交通省:独立行政法人国際観光振興機構)で推進しています。外国に向け日本の魅力を発信し、日本への魅力的な旅行商品の開発を行っているそうです。

もちろん情報発信も重要でしょうが、中小資本のホテルやレストランが簡単に多国語の案内を作れるように、多国語自動翻訳をWebサイトで提供してはどうでしょう。駅の案内のようなお決まりの案内ではなく、個々に“もてなし”の工夫を凝らせるようにすれば、海外の旅行客の利便性は向上し、日本をもっと楽しんでもらい、リピーターを増やせるのではないでしょうか。

 

水の中を飛ぶペンギン

お勧

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旭川の旭山動物園に行ってきました

動物園に行ったのは20年ぶりぐらいかもしれません。月間入場者が上野動物園を抜いたこともあるくらい人気の動物園だという事で混雑を心配したのですが、平日の午前中だったためか大きな混雑には会いませんでした。

旭山動物園の人気はいろいろなマスコミに取り上げられたこともあるのでしょうが、やはり動物の行動や生活をそのまま見せる「行動展示」や異なる動物を同じ飼育室で見せる「混合展示」などの展示方式がウケているのでしょう。何かのテレビ番組で飼育員の人が「芸はさせません」と言っているのを見ましたが、動物のありのままの姿、行動を見せようという努力が感じられます。

例えば私の記憶では動物園のペンギンは遠くを見つめじっと佇んでいるのが通り相場ですが、旭山動物園のペンギンは活発です。ペンギンの飼育室にはプールの中に水中トンネルがあるので、我々は水中の中のペンギンの行動を見る事ができるのですが、ペンギンも比較的広いプールがあるせいか水中を飛ぶように泳いでいます。そんなペンギンを見ていると、空気と海水の違いはあれど、やはりペンギンは鳥なんだと感じます

また、白クマの飼育室では深いプール(前面がガラスになっていて水中の具合も同時に見る事が出来る)があるので白クマ同士がプールの中で取っ組み合いをしている様子をつぶさに見る事ができました。

このように動物園自体はそれほど広くないのですが、動物の行動を見ていると、意外に早く時間が過ぎてしまいます。もちろん動物の特性や習性を利用した“芸”を見るのも意味はあるでしょうが、動物園では動物たちに人間に見せるための行動を取らせるのでは無く、同じ地球に住む隣人として(人間とは関係のない)動物たち自身の行動や生活を在りのままに観察し、彼らを独自の生き物として感じられれば良いのではないでしょうか。