辛い時は

助けられた言葉

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どの言葉から書き始めようかと考え、それぞれに優劣があるわけではないので、実は母の言葉にする事にしました。

母は10年以上認知症で、昨年亡くなりましたが、私が就職して20年近くあまり言葉を交わす事もなく、気が付いた時にはボケが進み、しばらくして私を認知できなくなりました。という事でこの言葉は数少ない母の言葉の一つです。

辛い時は、皆辛い、自分だけが辛いと思うな

大学受験に失敗し、実家の居間の畳の上でフテ寝をする私に背後からこの言葉が浴びせられました。バツも悪く、私は言葉を交わさず2階に逃れました。

予想された受験失敗ではありましたが、いざその場になると友達の中で自分一人が受験に失敗したという事に囚われ、そこから抜け出せませんでした。「皆辛い」という言葉で受験失敗を客観的に見れるようになり、さてどうしようか、という方向に考えを向かわせてくれました

目先を変えるのも、良い

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建築家を目指して受験した大学に落ちて、浪人生活を始めた時、久しぶりに訪ねた中学の美術のO先生は「一つの事に向かって努力するのは良いけれど、それが上手く行かなかった時には、目先を変えてみるのも、良い」と言われました

先生は一浪するのは良いが、一つの事に拘り過ぎて二浪、三浪してはいけない。まだいろいろな可能性があるのだから精一杯やった結果によっては、気持ちを切り替えて違った道を選ぶのも必要だし、それが良い結果を生む事もある、と言うのでした。

建築家としての才能を見透かされていたのかもしれませんが、励ましを期待して訪ねた先生に、「今度だめだったら、別の事をした方が良い」と言われ、複雑な気持ちになりました。しかしお陰で一年後、希望の建築学科に再度落ちた時には、拘りなく別の大学の機械工学科に進学しました。

日本のロケット開発の先駆者である糸川英夫博士は“研究テーマは10年ごとに変える”事にしていると言われました。才能と能力に恵まれた博士の事ではありますが、一つの事に拘り過ぎてはいけないという事だと思います。博士ほどではありませんが、18年技術者として勤めた会社を辞めた時、同種の仕事ではなく、営業の仕事を選びました。お陰でそれまでとは違う経験ができたのだと思います

先が見えず、思い通りにならないことの多い世の中では“石の上にも三年”、一つの事を身に付けて自分なりの達成感を得たら、それまでとは違う道に取り組む、というライフスタイルが良いのかもしれません。そのために新しい事に取り組む好奇心と柔軟性を持ち続けたいものです。

いつまでに決めるかを、決めれば良い

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今回は先輩の教えではなく、本で教わった助かった言葉です。

会社に入って10年ほどたち、ソフトウエアを開発するようになった頃、どのようなソフトウエアを開発するのかを決める仕様書を書くことになりました。しかし何から、どういう順序で書いたら良いのか分かりません。人に相談しようにも同じようなソフトウエアを開発している人がいなかったので相談にしようがありません。

いろいろ探して見つけたのが伊藤健一という方が書かれた本でした。伊藤さんは大正12年生まれ、昭和20年に東大工学部を卒業し、東京芝浦電気(TOSHIBA)で電算機や医療機器を開発した電気技術者で、本を書かれた時は東京農工大学の教授でした。本は仕様書シリーズと言い、仕様書の作り方、見積もりと仕様書、設計変更と仕様書の3部作です。初版は昭和54年ですから30年以上の技術者経験を集大成されたのでしょう。

参考になった事は、例えば

まず目次を作りなさい

仕様書に限らず、何かの話題を文章にまとめようとした時、思いつくままに書くと、とうぜん話が飛んだり、飛躍が大きくなると、読者には分かりづらくなってしまいます。最悪、話が発散してまとまらなくなってしまいます。これでは仕事になりません。そこで伊藤さんは、まず内容を書くのではなく目次を書いて、その後項目ごとに内容をまとめて書きなさいというのです。もしその項目単位でも内容がまとまらないのであれば、まとまらない項目の内容の前に一段細かいその項目の目次を先に作るようにします、こうすれば全体を押さえながら内容をまとめることができます

ところが不明点があったり、検討不足などでどうしても内容が書けない時があります。しかし仕事では不明点を調べていたり、時間をかけて検討できない場合があります。その時どうするか、不明点に目をつぶったり、検討不足のまま仕様書をまとめるわけにはいきません。ここが「目から鱗」だったのですが、伊藤さんは

決められない事は、決められない項目を明確にして、それらをいつまでに決めるかを決めて書いておけば良い

というのです。内容を書く必要はないので気が楽になります。何が不明か、どんな検討が残っているかを整理すれば、それらを調べるのに、残った検討するのにどのくらいの時間が必要かは、おおよそ見当がつくので、それを書いておきます

こうすれば仕様書を予定通りに完成し、社内の人や顧客と打ち合わせすることができます。そして順次仕様書を改定すれば良いのです。このやり方は仕様書作りだけでなく、いろいろな場面の仕事の進め方に応用できます

タダの頭なら、いくらでも下げてあげる

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私は工学部を卒業して、技術者として働き始めました

元々工作や映画を観るなど1人で過ごす方が好きで、人の好き嫌いも強かったため、いろいろな人と合わせなければいけない営業畑よりも、技術系が向いていると思っていたためです。

たしかに会社に入ってみると、技術者の人間関係は限られており、特に若いうちは組織の外のユーザーはもちろん、会社の中の営業部門など話をすることもほとんどありませんでした。日々与えられたテーマについてより良いものを作り上げる、という自負心を満足させるための努力の日々でした。

しかし、会社に入って10年ほどたち自分の開発したものが販売されるようになると、営業と打合わせたりユーザーを訪問して説明したり、という事も必要になってきました。そんなときに当然、意見の相違が発生します。私は技術者の悪弊でしょうか、絶対に議論に負けないようにしました。自分の正当性を主張して譲りません。そのためにディベートの勉強などもしました。ただイクサに勝って戦いに負けるという事もありました。

ある時、事業部の管理部長だったH部長がそんな私に「タダの頭なら、いくらでも下げてあげる」と言いました。

私は衝撃を受けました。それまで挨拶以外で頭を下げるなど、考えた事もありません。たとえ何か問題を指摘された時も、自分に落ち度がなければ、それを説明すれば良い、としか考えていませんでした。

H部長は、相手がカッカしている時に正論をぶつけても、相手は聞く耳を持っていない。聞く体制に無い相手に議論を挑んでも、それこそ無駄ではないか。まず相手を聞く体制に持ってこなければいけない。そのためには、頭を下げてすむのであればいくらでも下げてあげる、というのです。

確かに頭を下げたからと言って、お金がかかるわけでも、自分の立場を弱くするわけでもありません。まず相手に共感を示し、相手を同じテーブルにつかせた上で、自分の主張を慎重に展開する。こんな経験のお陰で、さらに15年ほど後に転職し営業として働く事ができました。

しかし、一つこだわりがあります。簡単に「すいません」とは言わないようにしています。「お気持ちは理解できます」「お困りですね」とは言いますが、事の真相がわからないうちから「すいません」と言ってはいけないと思っています。そんな意識からするとマニュアル化され挨拶代わり程度に使われる「すいません」は気になります。

ひたすら線を引きなさい

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ミュージシャンになったり、医者や弁護士になったり、若いころの思いを遂げて幸せな人がいます。しかし多くの場合、思い通りの道に進めるとは限りません。私も工業デザイナーになりたいと思った時があり、先生の紹介であるデザイン事務所で体験学習のような事をさせてもらった事があります。

工業デザイナーですから、何かアイディアに富んだ新しいものをデザインしなけらば、と意気込むわけですが、指導にあたってくれたSさんは「事務所の手伝い仕事の合間に、車の写真を忠実に描き移して」と言って自動車雑誌を渡してくれました。

見よう見まねで雲形定規や楕円定規を使いながら描きましたが、写真を描き移すといっても、なかなか簡単にはいきません。23日してSさんが来て、私の絵を手直ししながら「線が汚いね、ひたすら線を引きなさい」とアドバイスしてくれました。

大工さんのカンナ引きは、材木の端から端まで薄皮が切れないようにスーと引かなければいけない。それができるまで、ひたすら修行しなければいけない。デザイナーが絵を描くのも同じで1本の線がスーと引けなければいけない。その為には朝から晩まで線だけ書き続ける修行をしないといけない、というのです

高校、大学と頭で考えて要領を磨いたものの、一つの事を自分のものにするために手を動かして、体に覚えさせるという経験のなかった私にはハッとさせられた言葉でした。それ以来、手を動かす事をおっくうがらないように努めました。

デザイナーの道には進めませんでしたが、何か困難の時には頭でわかっただけでなく、体に覚えた事が助けになったように思います。

自分が変わる方が早い

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製造業の技術者として、日本企業に勤めている時に、ご多分に漏れずQC活動がありました。製造現場の品質管理という意味のQuality Controlの前にTotalを付けて、全社の全ての部門の全ての業務を改善しようという意味でTQC活動と呼んでいました。職場の業務を、現状把握、対策立案、対策実施、効果確認という手順を踏んで改善して行こうという小集団活動です。

私はこういった活動はどちらかと言えば好きな方ですが、効果確認が単なる数字合わせになったり、実際の活動よりも各期の処理件数競争に陥る事が多くて、あまりまじめに取り組んではいませんでした。

また「事務用品を減らしましょう」といった課題は自部門内だけで解決できますが、業務の多くは担当部門だけでなく、前工程や次工程など他部門との関係があって、課題の現状把握を行うと「前工程がこうすれば良い」とか「次工程がこうしなければ良い」など他部門の責任が多く目につき、効果的な対策が思いつかない事が多くありました。

そんな時にTQC活動事務局の指導役のBさんが「人に文句を言っても、相手が文句を聞いてくれなければ問題は解決しない。それよりも自分が変われば問題は改善する」とアドバイスしてくれました。

確かに相手に問題を指摘しても、相手にその通り動いてくれるかどうか分かりません。主導権は相手にあります。場合によっては相手が反論して議論になってしまう可能性もあります。それに対して自分が変わるのは、自分の裁量ですぐに行動に移せます。問題は完全に解決しないかも知れませんが、主体的に状況を変える事は出来るという訳です。

このような事はTQC活動にかかわらず、協力会社との仕事でも、お客様のクレーム処理でも同じで、問題の解決のつもりで相手の落ち度を長々と分析していたりする事がありますが、その時間で自分の対策を考えた方がどれほど効果的で自分のためにもなるでしょう。相手に非があるような場合でも、相手に改善を要求できない場合は、気難しい上司や自分勝手な顧客など、良くあります。そんな時に問題解決を諦めのではなく、状況を変えるための自分の対策を考えるようになって、仕事での折衝もし易くなり、クレーム処理も苦にならなくなったように思います

発表はレポート用紙1枚

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私の卒業した大学では、機械工学科の学生は4年生になると研究室に入って1年間、テーマを選択して卒業研究をしました。学部の学生が二人ひと組なり、大学院生が一人指導について研究を進めます。

研究の進捗状況を発表する報告会が毎週あり3週間に1度ぐらいは自分たちの番が回ってきます。

その20分程の発表用に資料を作らなければならないのですが、指導役の大学院生のIさんの指示は「資料はレポート1枚にまとめて」でした。その時は「何だ1枚ならそれほど大変でもなさそうだ」ぐらいにしか考えませんでした。しかし発表が3回目ぐらいになると研究も進み、グラフやら写真を付けなければならなくなると、資料が1枚に収まらなくなりました。

Iさんに相談すると、「だめ!1枚で良いのではなく1枚にする事が必要なの」との指示です。発表する資料は一つでも、発表聞く資料は毎回56件ある、それがそれぞれ56枚の資料では見る方は見きれない、相手に聞いてもらおうと思えば簡潔にまとめて、相手が一度に見て、考えられるようになっていなければいけない、と言うのです。

言われてみると大学院生の資料はいろいろな工夫で資料を1枚以内に収めていました。Iさん自身もある時、実験結果のグラフをレポート用紙の全面に書いて、そのグラフの線に重ならないように実験の報告を書いていました。

文章を書きだすと、いくつかの事が未整理のまま文章になってしまい、文章が長くなりがちです。もちろん味のある文章というのもありますが、相手に読んでもらうためには全体の文章量を限った方が良いようです。そうすることにより、同時に文章は簡潔に整理されます。

1年間ではありましたが、資料を1ページにまとめる訓練は社会人になっていろいろな場面で助けになりました。後年お付き合いしたいくつかの企業は「会議資料はA3一枚」が決まりでした。用紙のサイズは多少大きいですが、量を限るという効用は同じです。

着眼大局、着手小局

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着眼大局、着手小局

社会人になって、まだ7-8年の頃、事業部管理室長のH部長がよく言っていた言葉です。出所は分かりませんが、多分中国の古典に由来するものでしょう。「木を見て、森を見ず」と同じような意味で、前半の着眼大局の方に重点が置かれる事が多いようですが、H部長は着手小局を強調していたように思います。

つまり「大きな視点で物事を考え、最適な所から始める」ということです。私は「全体像を計画した上で、可能な範囲から実施し、全体像を見直しながら順々に実施範囲を広げてゆく」と解釈して、新しい事を始める時の指針にしました

私は「木を見て森を見ず」は失敗を後から批評する時の言葉で、これから何かを始めようとする時のアドバイスにはならないと思います。なぜなら木は木なりに重要で、一本一本の木を知らなければ本当の森は分からないと思うからです。森だけ見られても困るのです。

欧米人と仕事をしていると、アクション(行動計画)とプライオリティ(優先度)が日常的です。会議では、現状説明のあと、一通り意見交換をして目標を共有し、目標達成のための有効なアクションをアクションアイテムとしてリストアップして、それぞれのアクションの優先度を検討し、担当を決めて、次の打ち合わせまでのそれぞれの到達目標を確認する、という具合です。

大局を声高に言う人がいますが、的確な小局から着手しなければ、事は成就しません。大局を語りながら、あまり関係のなさそうな小局を持ち出して、案を正当化する人がいます。大局はおおむね間違いがないので反論が難しいため、こういう人は困りものです

さて鳴り物入りで始まった「高速道路、どこまで行っても1000円」は景気回復の大局に対して、着手小局だったのでしょうか。

経験則

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使っていた外付けディスクが突然PCで認識できなくなってしまいました

データのバックアップに外付けのハードディスクをUSB(ユニバーサル・シリアル・バス)で繋いで使っていました。USBが登場する前は、用途ごとに別々の規格が使われていました。今ではどんなPCにもUSB端子が3つ、4つ付いていて、PCにプリンターやデジカメ、さらに外付けディスクまで接続して使えるのです。

比べようもなく便利になったのですが、一たびトラブルが起きるとコンピュータは厄介です。昨日まで動いていたものが、突然ウンともスンとも言わなくなる。音や振動がする訳でもないのでトラブルを特定し、その上で原因を追究するのは、一種の推理ゲームです

メーカーに電話しても、役に立つアドバイスを聞けるわけもなく、こういう時の経験則は「正常に動作していた数日前の状態と違う点を一つずつ確認して行く」しかありませんPCに複数付いているUSB端子の場所を変えて接続したり、類似の外付けディスクを繋げ変えてみたり、悪戦苦闘2日間、原因どころか現象さえも特定できませんでした。

行き詰まると「問題をシンプルにして考える」しかありません。同時にUSBに接続していたプリンターを外したところ、ディスクはPCから正常に認識されました。USBの便利さが災いして、同時に接続した機器同士が干渉したのが原因のようでした。しかしプリンターが突然壊れるとは思えません。

次は「問題は大きい所にあるとは限らない」です。プリンターを繋いでいるケーブルを変えてみましたが、問題は再発しました。しかしそこで、複数台のPCでプリンターを使うためにUSBチャネルスイッチという小さな装置を介してプリンターを繋げていた事に気が付きました。またこの週末コンピュータの配置換えでこの装置を床に何度か落として、衝撃を与えていました。

結局、プリンターのケーブルを直接PCUSB端子に繋ぐ事で、外付けディスクと共存させて使えるようになりました私は仕事の中でコンピュータと付き合う上での経験則を先輩から伝授されました。これは得難い経験だったと思っています。

ダメな物はいくら直してもダメ

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中学生になった私は、美術部に入りました

もともと運動よりも絵や工作が好きでしたが、美術部に入ったのは美術のO先生の人柄にひかれたからだったと思います。職業教師の多い学校の中で、O先生は先生である前に美術が好きで、自分の好きな美術を生徒にも体験させたいという思いを感じさせる先生でした。先生は生徒に絵を描かせるだけでなく、焼き物を作らせたり、彫刻、版画にも取り組ませ、さらに上野の西洋美術館や都美術館、国立博物館で開かれる美術展に私達を連れて行ってくれました。

日頃優しい先生ではありましたが、時として善し悪しを厳しく指導するため、「あの先生はもとは(太平洋戦争時)青年将校だったんだ」というのが生徒の間でのもっぱらの噂でした。

先生は当時珍しいオーナードライバーで、いすゞ自動車が英国企業と技術提携して国産化したヒルマンミンクスという車で通勤していました。当時、乗用車の免許を持っている(まして30歳ぐらいの教師が)こと自体謎めいており、これもO先生青年将校説の根拠になっていました。

さて、美術クラブに入って最初に石膏像のデッサンをする事になりました。ギリシャ彫刻の男性の顔を面取りして単純化したものでした。絵には多少自信のあった私ですが、初めてのデッサン、見よう見まねで描いても明らかに形がおかしい。おかしい事は分かっても、何がどうおかしいのか分からない。あっちを直し、こっちを直しするのですが、大きな改善は見られません

しばらくして見回りにきたO先生が、

ダメな物はいくら直してもダメ

と言いながら、消しゴムで今まで書いた私のデッサンを大きく腕を動かして全て消してしまいました。

よく見て、始めからやり直す

ダメだというのは私も分かっていましたが、1時間近く描いたものを、有無を言わさず全部消されて、あっけに取られました。

大学を卒業してソフトウエア開発をするようになり、ダメな物を手直ししても良いものにはならない、という経験を何度かしました自分がやった事をダメだ、とフンギリをつけるのは難しい事ですが、逆にダメさ加減をはっきりさせて、そのダメさを繰り返さないように新しい取り組みを始める事が必要だと後になって知りました。

これはこれで良い事にしよう

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社会人駆け出しのころ、私は図面を自動で描く機械の制御をするプログラムを開発していました。当時は機械ごとに仕様が違っていたので基本のプログラムを各機械に合わせて手直しする、というのが私の仕事でした。手直し自体は基本がありますからたいして難しくはありませんでしたが、いくつかの変更が影響しあって機械が上手く動かなくなると、プログラム全体を作ったわけではない私には手に負えません。製品を出荷する前に製品の品質を確認する“試験課”という部署によく相談に行きました。

プログラムが完成しないことには試験課も仕事にならないので、いろいろ教えてもらいましたし、納期が迫ると見かねて私の代わりにデバッグ(プログラムの問題個所を発見して、プログラムが正しく動作するようプログラムを書き換える)してくれることもありました。

これはこれで良い事にしよう

これが、そんな時の試験課O係長の口癖でした。

プログラムにはいろいろな機能があります。それを頭から順に確認していては問題を発見するまでに時間がかかってしまいます。O係長はポイントを追いながら、最初から細部に陥りすぎないよう、あるレベルの確認をすると「これはこれで良い事にしよう」と自答して次の個所の確認に移ります。こうして大きな単位で問題を発見して、その上でそこの細部を確認していく、というやり方でした。

困難にぶち当たると、困難の原因(問題)を考えているようで考えが堂々巡りする事があります。一つの問題に囚われず、問題を多面的に考える為に「これはこれで良い事にしよう」とつぶやいてみると頭が切り替わるように思います。