天皇の戦争責任

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太平洋戦争が話題になると、昭和天皇に戦争責任があるのではないかという意見が出ます。中にはA級戦犯が死刑になっているのに昭和天皇が裁かれる事もなく象徴天皇として生きた事が公平でない、と考えている人さえいるようです。

私は歴史研究者でもないし、あくまで私人の考えでしかありませんが、そもそも戦争責任とは何かと思うのです。極東軍事裁判では平和に対する罪、通例の戦争犯罪、人道に対する罪という事になっているのですが、これらはポツダム宣言で規定された罪であり、事前にこれらを理解して戦争を始めたわけではありません。ですからインドのパール判事が「これらの規定が事後法である」ためA級戦犯を無罪としたように、これを戦争責任とする事は出来ないと思います。

だいいち太平洋戦争以前に領土の割譲及び賠償金の要求はあっても、戦争責任を追及する裁判など無かったと思います。戦争の責任とは戦争に負けた責任であったり、戦争には勝ったが賠償金が取れなかった、など当事国国民が国家に対して不満をぶつける物だったと思います。戦勝国の関心は出来る限り賠償金を取ることであって、戦勝国が戦争責任を追及する目的は報復以外あり得ないと思います。

そこで私は戦争責任を「戦闘意思の無い人(民間人や捕虜)に対する虐殺、殺害、抑圧の計画、命令、実行及びそれらが起こりうる状況の設定」だと考えるので、戦勝国であれ敗戦国であれ戦争責任を追及されるなければならない人は出てくるでしょう。そしてその追求はそれぞれの国自体で行うべきだと思うのです。この点で日本は自ら戦争責任を追及していないので「不幸な歴史を繰り返しません」などと言う資格はないと思っています。

さて昭和天皇の戦争責任を私の定義に基づいてみてみると「それらが起こりうる状況の設定」に反対しなかった責任はあるものの、自らの手で「状況を設定」した戦争責任があるとは認められません。昭和天皇は英国の立憲君主制をみならい、絶対君主にならないよう自分で事を決することなく、唯一ポツダム宣言受諾だけを自ら決めたといわれています。ですから戦争責任があるとしても荒廃した国土、国民に対峙しながら人間宣言をして復興の支えになろうとした事で贖罪になったのではないでしょうか。出来れば「状況設定」に利用された事を思えば、象徴天皇としても自分を最後の天皇として、戦後復興したある時点で天皇制を廃すれば良かったのではないかと思います。

私の戦争反対理由

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私は戦争に反対するけれども、それは戦争が悲惨だからという事からではないと、以前書きました。戦争は悲惨だ、と第三者的に理由づけるのではなく、直接自分の皮膚感覚として戦争に反対する理由を持つ必要があると思っていたのです。なぜなら「人間の歴史は戦いの歴史だ」といわれるように、歴史上の戦争を全て悲惨だからというだけで反対はできないと考えていたからです。歴史上の戦争は事実として、何が、どういう理由で起こり、どのように争い、迫害、略奪、抑圧があったのかを理解する対象であり、良い悪いを論じる事は出来ないと思います。

戦争を知らない子供たちである我々は、実は戦争がどのようなものであったかを戦争映画ぐらいでしか知りません。それもどちらかといえば派手な戦闘シーンが売り物の映画がほとんどです。それらの映画でいくら人が死んでも、それは戦闘シーンの一部でしかなく、戦争反対に結び付くものはほとんどありません。しかし「真空地帯」という映画を見た時、戦争のいやらしさを肌身で感じて、ハッキリと戦争反対と言えるようになりました。真空地帯は野間宏が1952年に昭和19年当時の大阪のある部隊での兵隊たちの生活を描いた小説(野間宏自身の実体験を元にしていると思われます)で、同年に山本薩夫監督が新星映画社という独立プロダクションで製作した映画です。

ストーリーは要約するのは困難ですが、要するに招集した市民の社会的な地位や能力を無視し、プライド、感情、人間としての尊厳を奪い歯車として絶対服従の<兵隊>に作り変える初年兵教育の実態が克明に描かれます。全く不快な戦争映画で、私はこのような人間性を奪うシステムとしての戦争に確信をもって反対します。そしてこのような映画こそ空想の戦争ではなく、自分をその場に置いた戦争を議論するために必要だと思います。

戦争についての疑問

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私は戦争に反対します

しかし、それは広島・長崎の被爆が悲惨だったからでも、民間人を巻き込んだ沖縄地上戦が悲惨だったからでもありません。もちろん、それらは悲惨な二度とあってはならないことですが、都市に対する無差別爆撃は日本が歴史上最初に中国重慶に対して行ったことですし、民間人を巻き込んだ地上戦は犠牲者の規模認識に差があるものの日本は日中戦争の中で数多く起こしています。前大戦に限って言えば、自国が行った事を棚上げにして、結果的に被害を受けたからと戦争に反対するのは、何か他人事の様で反対理由として釈然としません

以前、815日が近付くと毎年、戦争反対をテーマにしたテレビ番組が放映され、日本人はみな戦争反対の平和主義者だ、と言わんばかりの熱病に冒されますが、「あの戦争は何だったのか?」という疑問に答えられずに戦争に反対するのは絵空事の様だ、と書きました。128(ハワイ時間7)は日本が真珠湾攻撃を敢行した日ですが、私が長年抱えていた疑問を以下に列記してみます。

1)  なぜ日清、日露、第1次、第2次と立て続けに戦争をしたのか?

2)  戦争は悪い事だったのか?少なくとも仕方なく始めたのでは?

3)  戦争に消極的だった人の理由は?

4)  海軍非戦、陸軍好戦は本当か?

5)  陸軍悪玉、海軍善玉?

6)  太平洋戦争の目的は?

7)  満州は中国の領土だったのか?

8)  戦争では何人の死傷者がいたのか?

9)  自分が昭和天皇の立場だったとして、戦争は回避できたか?

10)  なぜ早く降伏できなかったのか?

11)  国際連盟を脱退した松岡洋介は戦争好きだったのか?

12)  開戦直前のアメリカと日本の国力・戦力の差は?

13)  開戦時の国民の反応は?

14)  ドイツと日本の同盟の実態は?

15)   日本軍の捕虜の扱いは本当に悪かったのか?

16)   そもそもなぜ軍隊が政治に介入したのか?

17)   軍はどのような勝算を見込んでいたのか?

これらに対する答えを得つつある現在、私はやっと戦争に反対する確固たる理由を見つけたように思っています。

韓国併合

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日本(当時の大日本帝国)が現在の韓国と北朝鮮を領有、支配した韓国併合は1910年から、日本が第二次世界大戦に負け実効支配が終わった1945年まで続きました

韓国併合は現在の社会常識からすれば当然否定すべき帝国主義行為ですが、歴史認識としては創氏改名(そうしかいめい: 姓が無かったり、夫婦別姓制であった朝鮮半島の戸籍を日本や欧米諸国の家族同一戸籍へ、変更を推進した)などの悪行だけでなく土地改良、交通・通信網整備、発電所建設、産業振興、初等教育の普及など当時の社会情勢を総合的に知っておく必要があると思います

歴史の中での侵略、植民地化は数知れませんが、何が良くて、何が悪いかを単純に決めることは難しく、統治者が統治国人であってもその国の生活者が略奪や暴行、果ては無法な殺戮を受ければ、元も子もありません。一方統治者が統治国人でなくても無法な事に巻き込まれる事無く、生活が向上するのであれば、それも良しと考えることもできるのではないか、と思っていました

今年の春、韓国のソウルを旅行した時、李氏朝鮮の王宮である景福宮(けいふくきゅう、朝鮮読み キョンボッグン)を訪れました。1400年ごろから正宮であった景福宮は日本の王宮とは当然違った印象ですが、独特な色彩や紋様、意匠があり興味深いところでした。ところが朝鮮併合時、朝鮮総督府がこの景福宮の中、それも正面の門である光化門と宮庭の回廊の入り口である興礼門の間にあった(左図参照)と聞きました。日本に置き換えれば京都御所の正面の建礼門と回廊の入り口の承明門の間に連合軍総司令部が建てられたようなものでしょうか。

さらにガイド氏の話では単に位置だけの問題でなく、元々風水の考えに基づいて造成された景福宮では、朝鮮総督府が風水の気を遮る事になり、大きな不幸を暗示するというのです。

当時の大日本帝国の意図は分かりませんが、敢えて統治国の国民の慣習を無視し、歴史・文化を傷つける行為は、たとえ生命に危害を加えることではないとしても、あってはならない行為と1996年解体、取り除かれた旧朝鮮総督府の建物を想像しながら実感しました

過去の歴史認識に立って、他国の風俗・慣習を尊重し、歴史・文化を尊敬する事は平和を守る手順として必要だと思います

アウシュビッツ

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日本では8月に入ると15日まで、戦争を扱った新聞の特集記事や、テレビ番組が急増しますそれだけ日本人にとって戦争は非日常の出来事なのでしょう。戦争の事について考えを表明するのは、思いもよらない非難を受ける可能性もあるので避けるべきなのかもしれません。しかし「あの忌まわしい戦争」「二度とあってはならない戦争」「地球より重い人の命を大切に」と言っているだけでは、実際に起こる戦争を抑止できないと思うので、私の戦争についての考えを振り返ってみようと思います

私が戦争に関心を持つようになったのは中学生になった頃だったと思います。わたしの性格として「白だと言われると、本当に白?黒なんじゃない。」と疑ってかかる事が多いのですが、そのせいもあって、最初の関心事は「ヒットラーは本当に悪い人間だったのか?」という事でした。当時は戦争もののテレビドラマや映画が多く、連合軍は正義、ドイツ軍は悪者という描き方が常で、それに反発したのかもしれません。

まだユダヤ人への迫害などを深く知らなければ、1次大戦の敗戦で疲弊した上に戦後賠償で経済破綻したドイツを奇跡の復活に導いた英雄、「不可侵条約は最も効果的な時に破棄するために締結するものだ」などと言ってのけるニヒルさにも魅かれる物を感じました。

しかし、一方で行われたユダヤ人迫害を知るようになって、考えが変化しアウシュビッツなどでの多くのホロコースト(大量虐殺)体験を読んだり、見たりしました。ドイツ人の生真面目さからか強制収容所での虐殺記録が思わぬところに残っていたり、ごく僅かですが生存者が当時の体験を隠れずに語るので、ホロコーストについてはほぼ真実と思われる実態を知ることができます。

アウシュビッツでの出来事を正当化することはできないし、今となって正当化しようとする人もいないでしょう。「ああいう事はあってはならない」と誰もが言う事でしょう。しかしアウシュビッツの後でもカンボジアのポルポト政権下で百万人以上の大量虐殺が起こり、チリのピノチェト政権下で多くの市民が逮捕・虐殺され、最近ではルワンダ内戦でも百万人を超える虐殺が起きました。

「あってはならない」と言っているだけでは抑止になりません。一人の狂信者に大量虐殺は起こせません。加担する者がいて初めて可能になります。加担する者もいやいやながらというより、使命感に駆られて加担しないと大量の虐殺は困難でしょう

一人の狂信者の心理分析も必要でしょうが、多くの加担者を生まないためには、実際に起こった事は何なのか、どうして多くの人が加担したのか、加担の輪を広げないための策はないのか、と具体的に考えないとだめだと思うのです。

このような考えに至ると、日本の戦争についても、どうしてあの道を歩んだのかを知らないと、「二度と過ちは繰り返しません」と言っても、同じような過ちを前にした時に踏みとどまり、引き返すことはできないと思うのです。

歴史認識

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「歴史認識」とは端的に言って戦争をどう考えているか、という事です。もちろん私は戦後世代ですが、高校時代にベトナム戦争が激しくなり、毎日のように新聞でアメリカ軍のB52が北ベトナムを爆撃する北爆の記事を見ていました。私にとって戦争はベトナム戦争でした。そして“ソンミ村虐殺事件”が起こりました。これは1968年にカーリー中尉率いる小隊が南ベトナムのソンミ村で村民を虐殺したという事件です。当初はゲリラ掃討作戦と報告されていましたが、実際には無抵抗の村民を虐殺したとして事件にかかわった兵士が軍法会議にかけられました。

私はこの記事を読んで、虐殺の悲惨さもさることながら兵士として上官の命令で行動している時に、無抵抗と思われる村人への攻撃は自分一人拒否できるか、と自問しました。しかし残念ながら明快に命令を拒否する自信はありませんでした。そんなことから「戦争」というものを知らなければならないと思うようになりました

もちろん興味本位の部分もありますが、その後日中戦争における南京虐殺や重慶の無差別爆撃、満州国の建国と崩壊、大東亜共栄圏構想、BC級戦犯裁判などを知りました。

「戦争は悲惨で、行ってはいけない事」に異論はありませんが、毎年8月初めから15日まで日本中が一斉に戦争反対の声であふれるのには違和感を感じます。理由の如何を問わず日中戦争から太平洋戦争を始めたのは日本であり、自分で始めた戦争が終わって「終戦」と言うのは、加害者の立場を薄めるトリックが匂います。

戦争反対を言う前に、日本人はなぜ戦争を始め、どうして戦争に敗れ、どのような影響を隣国に与えたのか、という認識を持たないといけないのではないでしょうか。

正確な認識なしに、当時の社会秩序の中では日本は良かれと思う事をした、隣国に対しては接収された資産がその後の発展の基礎になったし、戦時賠償だってしている、と日本の行動を正当化するのもおかしいし、逆に事実と異なる非難に対しても何の反論もせず贖罪の日々を送るのもおかしいのではないかと思います。

まずは815日を終戦ではなく敗戦と呼び、戦争の始まりから終わりまでを自身の問題として知る努力をしてはどうでしょうか。その努力があって戦争反対が明快に言えるように思うのです