適者生存

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サンマの季節になりました。

北海道産のサンマは今、脂がのって塩焼きはカボスを絞って美味しく食べられます。当分週末はサンマを買いに魚屋さんに行く事になるでしょう。

そこで、魚屋さんで店先の魚を見ているとトビウオが目に入りました。トビウオはサンマより早く初夏から夏が旬の魚です、竹輪などの練りものや、クサヤの材料になりますが、地物は刺身で食べると身の柔らかいところと、しまったところのとりあわせもあり、美味しいものです。そのトビウオを視ているうちに不思議な事に気がつきました。左の写真にあるように上下の尾びれの形が非対象で、明らかに下側の尾びれが大きいのです。見た目には2倍近く下側の尾びれが大きいようです。釣った時に千切れてしまったのかとも思いましたが、どのトビウオも下側尾びれが大きくなっています。

魚屋さんの話では2-300mは飛ぶそうで胸びれを広げてグライダーのように飛翔する姿は何かで見た事がありますが、尾びれがどうなっていたか、までは気に止めていませんでした

家に戻り調べてみると、トビウオは水中からミサイルのように飛び立つのではなく (当たり前ですが) 胸びれを広げて半身を水面から起して、尾びれを左右に振りながら、尾びれで水面をたたいて助走します。その様はモンローウォークのようです。そして波の落差を利用して水面を離れるようです。この様子が英国BBCニュースのウェブサイト

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7410421.stm

にあり、その動画から切り取った画像が左下の写真です。

従って助走の為には尾びれが上下対称よりも、下尾びれが大きい方が力強く水面をたたける。何とも理にかなっています。

ではなぜトビウオは空を飛ぶのかですが、自分より大きなマグロなどの捕食魚から逃げるためだと言います。こう見るとあたかもトビウオは捕食魚から逃げるために胸びれが大きくなり、尾びれの上側だけが発達し、胴体も角の丸まった四角い断面の新幹線のような弾丸型になったのだろうと思ってしまいますが、学問的には進化は目的を持って行われるわけではないので、(キリンは高いところの葉っぱを食べるために首が長くなったのではなく)、進化は偶然的で、たまたま長い首のキリンの方が木の葉っぱを食べるチャンスが多く、生存に好都合だったので、より多くの子孫が残せ、いつの間にか長い首のキリンばかりになってしまった、と考えるべきだと言います。つまり適者生存です。と考えるとトビウオの誕生も人間のそれと同じような長い時間が掛ったように思えてきます

歴史の実像

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私用があり北海道に行って来ました

今年は暖冬で日々花粉症の心配をしていますが、さすがに北海道はまだ冬で多少雪の心配をしましたが、幸い天候はそれほど悪くなく千歳には定刻に到着しました。レンタカーを借りて千歳から札幌へ小雪の中を向かいました。しかし札幌から旭川に向かう頃には風が強くなり高速度道路脇の横風警報器は今にも壊れそうなくらいプロペラを回していましたし、乗っている車もハンドルをしっかり握っていないと横風に吹き飛ばされそうな強さでした

知り合いの話では、札幌を過ぎて江別、岩見沢と平原が続くためか昔から横風の名所だそうです。やはり北海道の自然は日本の中では規模が大きいせいか気候も一回り厳しいようです。無事に目的地に着くと、風は強くありませんでしたが山間のためか雪は視界を遮るように降っていました

北海道の開拓については学校の歴史教科書で屯田兵だとか札幌農学校だとかを歴史用語として教えられた記憶がありますが、残念ながら実際の開拓史を知る事はありませんでした。後年帯広の開拓に尽力した依田勉三率いる晩成社という開拓団の事を知ったのですが、15年で1万町歩の土地を開墾する計画が、10年経っても50町歩開墾する事も出来なかった、という事があまりにも計画と実績のズレが大きくて当時の開拓の実像が理解できませんでした。

思うように開拓が進められなかった原因にはバッタ、野ネズミの襲来などがあったそうですが、なによりこの風、雪の激しさに冬場活動できない日が多く発生したからでしょう。今日では1日降り続いた雪でも、トラクター型の除雪車が翌朝には幹線道路の除雪をしてくれますが、除雪用の重機がなかった時代には天候が回復しても雪かきに多くの時間が必要だったことでしょう。

既に用事を終えて戻ってきましたが、今回の短い旅行で今まで理解できなかった開拓の実像を実感するのに十分な自然体験が出来ました。改めて依田勉三はじめ開拓者の方々の苦難と努力に思いをはせました。4月の後半には雪もなくなり一気に春になるそうです。その時期に今度は北海道の自然の豊かさを楽しんでみたいものです。

品位の無い暴言

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民主党前原誠司副代表の24日の予算委員会での麻生総理に対する質問が不評のようです。品位の無い暴言、実質的議論になっていない、というのが大方の受け取り方のようです。しかし、そうでしょうか?もともと国会での質疑に品は必要でしょうか?

問題の部分だけ見てみると、前原氏が「麻生総理は“やるやる詐欺”の常習犯。選挙やると言ってやらない、道路財源の一般財源化も、やるやると言ってやらない。」と批判したのに対し、「詐欺は犯罪者扱い。これは犯罪ですか。」と切り返しました。首相は発言したことを実行しなくても大した罪ではない、と言いたかったのでしょうか。少なくとも詐欺師扱いされるような不誠実な行為でないと考えているようです。時の首相がそのように考えていることが明らかになっただけでも意味のある質問だったのではないでしょうか。

国会の議論では上品に真意を隠した議論などは不要で、もちろん殴り合いだとかの暴力行為は困りますが、率直な言動で相手の本性が明らかになる方が、議員の評価をしっかりと出来て良いのではないでしょうか。アメリカの大統領選挙では、対抗陣営どうしスキャンダル合戦を含め口汚く罵り合う事さえあります。そしてその時の対応の仕方でトップ候補が選挙から脱落したり、ダークホースが最終的な候補になったりします。国民は各候補の本性を早い段階から知れる訳です。だから国の指導者になってから「えっ、そんな人間だったのか!」という事が少ないように思うのです。品位がない議論、大いに結構、もし品位がないだけでなく質問に意味がなければ、質問者を次回の選挙で落とせば良いのです。「それはいかがなものだろうか」など持って回った、他人事のような表現こそ排除して、国民に意味がそのまま分かる率直な議論を展開していただきたいものです。その為には自分のことを俺、俺と発言するのと大差のない品の無い表現ぐらい我慢しようではありませんか。

時代に合わない雇用保険

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日本では長期の比較的安定した政治体制のもと、大きな変革のないまま歳月が経過し21世紀に入って流石に時代にそぐわなくなった法律や公共投資計画が問題になってきています。受益者と想定される人々が「いらない」と言っているダムや橋などの公共工事を熱心に初志貫徹しようとする行政の価値観は理解不可能です。これらの具体例については今更挙げるまでもありませんので、時代にそぐわなくなった法律の例を見てみましょう。

サラリーマンにとって税金と同じように給料から天引きされている雇用保険料、毎月基本給の6/1,000が天引きされています。雇用者もほぼ同額を負担する事になっているので、給与の約1パーセントが確実に毎月国に納められていることになります。この雇用保険の目的の一つは「失業中の生活を心配しないで新しい仕事を探し、1日も早く再就職できるよう、(中略)失業等給付を支給しております」となっています。終身雇用が保障されない時代にあって、現在の仕事に見切りをつけて転職しようとした時に生活の心配をすることなく、新たな仕事が探せるのであれば、まさにありがたい事だと思うのですが…

失業給付は離職時の賃金日額を19段階に分け、各段階の手当日額はそれぞれの賃金日額に係数(80%~45%)を掛けて決定します。しかし、さらにこの給付には賃金日額に15,460円、それに対応した手当日額に7,730円という上限が決められているので、実際には年収が5,642,900円(=15,460x 365日)以上どんなに多い人でも一日あたり7,730円(44歳以下ないし60歳以上はさらに少ない)しか支給されないことになっているのです。年収に直せばわずか2,782,800円、これでは40歳以上の役職者の場合、失業給付金額が離職時の給与の2割以下という事もあるのではないでしょうか。さらに支給期間は一般的には90日、長くて150日でしかありません。また雇用保険には申請後3ヶ月間の給付制限期間という意味不明の制約があり、最初の給付を受け取れるのは申請後四カ月過ぎてからです。

これではよほど有望な仕事が事前に見つからない限り積極的に転職するなど出来るわけがありません。雇用保険法は第二次世界大戦直後の昭和22年、皆が飲まず食わずの時代に制定された失業保険法を元に、高度成長末期の昭和50年に制定されたと聞きます。毎年基本手当日額は勤労統計に基づいて改定されるとはいえ、賃金日額・基本手当日額それぞれの上限設定などは基本的に変わっていません。政府も行政もこれで「生活を心配しないで新しい仕事を探せる」と言うなら、詐欺商法と大差ありません。少なくとも最初に実際の給付はこうなると説明し、せめて雇用保険への加入を強制ではなく選択制にすべきではないでしょうか。庶民感覚の無い政府や今でも終身雇用の保障された公務員には切実でない事かもしれませんが、それが公僕としての誠意だと思うのです。