韓国併合

歴史認識

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日本(当時の大日本帝国)が現在の韓国と北朝鮮を領有、支配した韓国併合は1910年から、日本が第二次世界大戦に負け実効支配が終わった1945年まで続きました

韓国併合は現在の社会常識からすれば当然否定すべき帝国主義行為ですが、歴史認識としては創氏改名(そうしかいめい: 姓が無かったり、夫婦別姓制であった朝鮮半島の戸籍を日本や欧米諸国の家族同一戸籍へ、変更を推進した)などの悪行だけでなく土地改良、交通・通信網整備、発電所建設、産業振興、初等教育の普及など当時の社会情勢を総合的に知っておく必要があると思います

歴史の中での侵略、植民地化は数知れませんが、何が良くて、何が悪いかを単純に決めることは難しく、統治者が統治国人であってもその国の生活者が略奪や暴行、果ては無法な殺戮を受ければ、元も子もありません。一方統治者が統治国人でなくても無法な事に巻き込まれる事無く、生活が向上するのであれば、それも良しと考えることもできるのではないか、と思っていました

今年の春、韓国のソウルを旅行した時、李氏朝鮮の王宮である景福宮(けいふくきゅう、朝鮮読み キョンボッグン)を訪れました。1400年ごろから正宮であった景福宮は日本の王宮とは当然違った印象ですが、独特な色彩や紋様、意匠があり興味深いところでした。ところが朝鮮併合時、朝鮮総督府がこの景福宮の中、それも正面の門である光化門と宮庭の回廊の入り口である興礼門の間にあった(左図参照)と聞きました。日本に置き換えれば京都御所の正面の建礼門と回廊の入り口の承明門の間に連合軍総司令部が建てられたようなものでしょうか。

さらにガイド氏の話では単に位置だけの問題でなく、元々風水の考えに基づいて造成された景福宮では、朝鮮総督府が風水の気を遮る事になり、大きな不幸を暗示するというのです。

当時の大日本帝国の意図は分かりませんが、敢えて統治国の国民の慣習を無視し、歴史・文化を傷つける行為は、たとえ生命に危害を加えることではないとしても、あってはならない行為と1996年解体、取り除かれた旧朝鮮総督府の建物を想像しながら実感しました

過去の歴史認識に立って、他国の風俗・慣習を尊重し、歴史・文化を尊敬する事は平和を守る手順として必要だと思います

国民審査

社会問題

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衆議院選挙の開票速報が続いています。雨の日曜日、今までであれば低い投票率になるところ、期日前投票を含め今までにない投票率で、変化を感じます。

衆議院選挙の結果は、改めて検討するとして、同時に行われた国民審査について考えてみたいと思います。国民審査は司法の頂点に立つ最高裁判事の人事、つまり最高裁の判断に問題はないかを意思表示する唯一の機会です。しかし実態は不的確と思う判事の名前についてのみ×を付ける、という投票方法のお陰で今までに行われた20回の国民審査で罷免された判事は皆無というありさまです。もちろん全員適格なのであれば結果オーライですが、もともと判事の適格性を判断する情報がなさすぎます

もちろん選挙管理委員会から審査公報は送られてきますが、それには各裁判官の略歴と担当した判決も紹介されていますが、羅列的で一般の有権者が判断するのは困難です。困難なので×を書かなければ自動的に承認した事になります。司法は国民の関心を高め、意思を反映する、として裁判員制度を進めていますが、国民の司法への関心を高めるためにはまず国民審査で国民の判断を聞きたいポイントを分かりやすく説明する必要があるのではないでしょうか。

実は今回の国民審査には、2005年の衆議院総選挙の小選挙区の一票の格差が2.17倍でも合憲と判断した2人の裁判官が含まれていました。(一人は2004年の参議院選挙で格差が5.13倍でも合憲と判断している)なんで2倍の格差があって平等と言えるのでしょう。格差を減らし、少しでも投票の効果が平等になるように指示するのが司法の役目ではないでしょうか。

民間企業は顧客満足度を重視しますが、司法(だけでなく、本当は立法も行政もですが)は司法の判断を国民がどう受け取ったのか、すなわち国民の満足度を調査すべきでしょう。国民審査はその有効な手段だと思います。司法は形だけの審査を行うのではなく、どうすれば生の国民の意見を収集できるのか創造的な工夫をしても良いのではないでしょうか

別れるときは、畳一目づつ

先人の教え

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大学で文学を受講するまで、私は小説を「作り話」としか理解していなかったので、ノンフィクションやエッセーなどしか読みませんでした。特にエッセーは人生のノウハウを効率的に得られるような気がして、良く読みました

そんな中で感心した教えの一つが、吉行淳之助の表題の言葉です。吉行淳之助はテレビドラマにもなった美容師の吉行あぐりさんの長男として生まれた小説家です。もちろん小説だけでなくエッセーなども多く、私はそちらを愛読していたわけです。

吉行は恋愛について語ります、記憶の範囲ですが「男が別れるときは、相手に納得してもらう事が重要です。相手に動揺を与えるようなことは男として許されない。相手と向かい合う距離を一日一日、畳の一目づつ後退りして、気が付いたら隣の部屋にいた」という心掛けが必要だというのです。

知識は大人のつもりでも、実体験の少ない高校生には、人生の先輩の言葉は大きく、まだ必要もない事にまでえらく感心したものです。

全てを三段論法で効率的に処理する習性がついてしまうと、人間関係も理論的に処理できる、と考えてしまうのか吉行のように人間について深く関心を持つ人は減ってしまったように思います。

最近は一週間単位で新しい殺人事件がニュースになる時代ですが、男女の感情のもつれから、利害関係者間の争いまで、全てが解決するとは思いませんが、吉行の言う相手の気持ちのペースに合わせた「畳一目づつ」の心掛けが望ましいのでしょう

日本の難民対策

提案!

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国立博物館や科学博物館のある上野公園を通ると、多くの人々が公園の一角に集まっている光景を見る事があります。いわゆるホームレスの人々に対するボランティアによる炊き出しです

東京ではいくつかの区でこのような炊き出しがおこなわれているそうです。ホームレスの人たちもこれらの炊き出しを求めて都内を新宿から池袋、池袋から上野と歩いて移動するのだそうです。この暑い夏の炎天下、食事のためとはいえ何とも気の毒な事でしょう

もちろん働く気のない人もいるのでしょうが、テレビなどで紹介される人たちは何かの理由で職を失い、居所を失い、仕事につきたくても仕事がない、という人も多いようです。事実年功序列の習慣が残る日本では40歳、50歳でまだ十分働ける知力、体力があっても、一度職を失うと再就職のチャンスは極端に少なくなります。終身雇用の無くなった社会では二十歳の人も五十歳の人も同じ条件で求人競争できなければいけません。男女差別と同じように、年齢による職業差別もあってはならないのです。

しかし、そのような差別がなくなるのには20年、30年の時間がかかるでしょう。社会の意識が変わるのには時間がかかります。今はその時間を待っていられない緊急事態です。働く意欲があるのにホームレスとして暮らすしかない人たちはいわば難民です。なぜ行政は難民対策を立案・実施しないのでしょう。官僚の基本である前例主義から、日本に難民はいない、だから難民対策はいらない、と考えているのでしょうか。

生まれてから一度も働いた事がないホームレスはごく僅かでしょう。少ないながらも税金を払った事もあるでしょう。行政がかつての納税者にお礼をしても良いのではないでしょうか。限られた予算の中で出来る事を考えなければいけないでしょう。緊急事態ですから、最低賃金を以下の給与であっても、炊き出し相当分の食事を得られ、テント暮らしでも、暑い盛りに都内を歩き回らずすむ仕事と場所を提供できればまずは良いのではないでしょうか。

例えば公園の草むしり、道路清掃、ゴミ収集補助、など今でもお金をかけて委託している業務があるのではないでしょうか。それらの仕事をホームレスの人たちに優先的に回すようにしてはどうでしょう。機械は不要、人海戦術で良いのです。多くのホームレスの人たちに働いてもらえば良いのです。

正規に人を雇うのであれば高額で不可能な仕事、例えば町の案内、老人や障害者の人の移動補助など、柔軟な発想で縦割り行政の枠を超えて格安の労働力の有効活用を考えれば、それが難民救済の緊急対策になるでしょう。

アウシュビッツ

歴史認識

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日本では8月に入ると15日まで、戦争を扱った新聞の特集記事や、テレビ番組が急増しますそれだけ日本人にとって戦争は非日常の出来事なのでしょう。戦争の事について考えを表明するのは、思いもよらない非難を受ける可能性もあるので避けるべきなのかもしれません。しかし「あの忌まわしい戦争」「二度とあってはならない戦争」「地球より重い人の命を大切に」と言っているだけでは、実際に起こる戦争を抑止できないと思うので、私の戦争についての考えを振り返ってみようと思います

私が戦争に関心を持つようになったのは中学生になった頃だったと思います。わたしの性格として「白だと言われると、本当に白?黒なんじゃない。」と疑ってかかる事が多いのですが、そのせいもあって、最初の関心事は「ヒットラーは本当に悪い人間だったのか?」という事でした。当時は戦争もののテレビドラマや映画が多く、連合軍は正義、ドイツ軍は悪者という描き方が常で、それに反発したのかもしれません。

まだユダヤ人への迫害などを深く知らなければ、1次大戦の敗戦で疲弊した上に戦後賠償で経済破綻したドイツを奇跡の復活に導いた英雄、「不可侵条約は最も効果的な時に破棄するために締結するものだ」などと言ってのけるニヒルさにも魅かれる物を感じました。

しかし、一方で行われたユダヤ人迫害を知るようになって、考えが変化しアウシュビッツなどでの多くのホロコースト(大量虐殺)体験を読んだり、見たりしました。ドイツ人の生真面目さからか強制収容所での虐殺記録が思わぬところに残っていたり、ごく僅かですが生存者が当時の体験を隠れずに語るので、ホロコーストについてはほぼ真実と思われる実態を知ることができます。

アウシュビッツでの出来事を正当化することはできないし、今となって正当化しようとする人もいないでしょう。「ああいう事はあってはならない」と誰もが言う事でしょう。しかしアウシュビッツの後でもカンボジアのポルポト政権下で百万人以上の大量虐殺が起こり、チリのピノチェト政権下で多くの市民が逮捕・虐殺され、最近ではルワンダ内戦でも百万人を超える虐殺が起きました。

「あってはならない」と言っているだけでは抑止になりません。一人の狂信者に大量虐殺は起こせません。加担する者がいて初めて可能になります。加担する者もいやいやながらというより、使命感に駆られて加担しないと大量の虐殺は困難でしょう

一人の狂信者の心理分析も必要でしょうが、多くの加担者を生まないためには、実際に起こった事は何なのか、どうして多くの人が加担したのか、加担の輪を広げないための策はないのか、と具体的に考えないとだめだと思うのです。

このような考えに至ると、日本の戦争についても、どうしてあの道を歩んだのかを知らないと、「二度と過ちは繰り返しません」と言っても、同じような過ちを前にした時に踏みとどまり、引き返すことはできないと思うのです。

食料自給率と食べ残し

社会問題

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この所の天候不順で野菜の出来が悪く、今までは店頭に並ばないような形が悪かったり、傷のある野菜がデパートにも並んだと、話題になっています。味に変わりがないのであれば、かえって値段の安い不揃いの野菜は人気のようです。

多分元々は均一で形の整っている方が箱詰めして輸送しやすい、というような理由から不揃いの野菜は流通しなくなったのでしょう。均一な品質が期待される工業製品と同じ品質基準を自然相手の農作物適用したのも農業を斜陽産業にしてしまった要因なのかもしれません。現在農業従事者の平均年齢は60歳前後で10年後には70歳、その時何割の人が農業を続けているか、多くは期待できない、という話を聞きました。「農業の再生」の声も高いですが、残されている時間はあまり多くないようです。

一方、日本の食料自給率は40%を切った、と強調されています。実はこの数字はカロリーベースの自給率と言う事で、112,600カロリー摂取する前提で農水省が計算している数字だそうで、実際の1日平均摂取カロリー(1,900)を基準に計算すると53%ぐらいで留まっているようです。かと言って自給率が低いことには変わりはないのですが、しかしこの計算値の違い13%はどうして出るのでしょう。

別の角度から食糧問題を見たときに、日本は飽食ならまだしも食べ残しが多く、毎日1食分のカロリー(食品)が捨てられているそうです。つまりこの捨てられた分の食料が自給率の13%の違いに対応しているのだと思います。

食料自給率の低さはさらに別の問題も隠し持っています。農作物を育てるのには多量の水が必要で、農作物を輸入するという事は農作物を育てた水、バーチャルウォーターを輸入している事に他ならないというのです。世界的な水不足が起こっている現在、これは化石燃料を世界中から買い集め、消費して温室効果化ガスを世界に排出するのと同じように、改善を急がなければいけない問題でしょう。

まずは無駄に捨てられる食材をなくしたり、利用もされない農作物を流通させる工夫が必要でしょう。まさに日本の優秀な官僚と特別行政法人に汗を流して知恵を出してもらう時が来ました

力になる継続は、どのくらい続ければよいのか

心構え

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「継続は力」と言いますが、一つの事をどのくらい続ければ力になるのでしょう。

これは大学受験の時の大きな関心事でした。しかし、この時は受験には失敗したくないので、必要十分な勉強時間を見極める危険は冒せませんでした。

社会人になって10年ほどして、仕事で英語を使わなければならなくなった時、別項で紹介しましたが話す方はBasic Englishのおかげでどうにか意思が伝えられても、聞く方がダメでした。話している言葉が聞き取れないという前に、30分も聞いていると頭の芯が疲れて、意識が散漫になり言葉に集中できなくなります。これでは英語でトレーニングを受けたり、何かの折衝をするなど無理で仕事になりません。

そんな時、アルクという会社がやっていた(今も在るようです)ヒヤリングマラソンという通信講座を知りました。本来は13時間英語の教材テープを聞いて、1年間続けて1,000時間というヒヤリングのコースです。しかし忙しい仕事の中で1年間続ける自信がなく躊躇していたところに、簡易版500時間マラソンコースというのが登場したので、まずは半年続けてみる事にしました。

半年続けてみると、頭の芯が冷えてしまう時間も30分ではなく2時間ぐらいに伸びました。こうなれば休憩時間を置いて1日打ち合わせをする事もできます。もちろん後年外資の会社に転職した時にはさらに別の試練があったので、本来はやはり1,000時間は必要なのでしょう。

という事で、私は「13時間、1年で1,000時間続ければ何かしら身につく」と思っています。そんなところに先日、「天才!成功する人々の法則」という本の書評を読みました。この本は傑出した人々の秘話を通して、成功する法則を紹介しているというのですが、その中で“作曲家やチェスのプレーヤーら様々な分野の成功者たちの多くは、その分野に精通するまでに1万時間、同じ事を繰り返していた1万時間と言えば、(13時間として)だいたい10年間です。”という紹介がありました。

13時間を10年、なかなか容易ではないでしょう。しかし、長寿国日本において10年続けられる事を見つけられれば後半生は有意義になるかもしれません

歴史認識

歴史認識

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「歴史認識」とは端的に言って戦争をどう考えているか、という事です。もちろん私は戦後世代ですが、高校時代にベトナム戦争が激しくなり、毎日のように新聞でアメリカ軍のB52が北ベトナムを爆撃する北爆の記事を見ていました。私にとって戦争はベトナム戦争でした。そして“ソンミ村虐殺事件”が起こりました。これは1968年にカーリー中尉率いる小隊が南ベトナムのソンミ村で村民を虐殺したという事件です。当初はゲリラ掃討作戦と報告されていましたが、実際には無抵抗の村民を虐殺したとして事件にかかわった兵士が軍法会議にかけられました。

私はこの記事を読んで、虐殺の悲惨さもさることながら兵士として上官の命令で行動している時に、無抵抗と思われる村人への攻撃は自分一人拒否できるか、と自問しました。しかし残念ながら明快に命令を拒否する自信はありませんでした。そんなことから「戦争」というものを知らなければならないと思うようになりました

もちろん興味本位の部分もありますが、その後日中戦争における南京虐殺や重慶の無差別爆撃、満州国の建国と崩壊、大東亜共栄圏構想、BC級戦犯裁判などを知りました。

「戦争は悲惨で、行ってはいけない事」に異論はありませんが、毎年8月初めから15日まで日本中が一斉に戦争反対の声であふれるのには違和感を感じます。理由の如何を問わず日中戦争から太平洋戦争を始めたのは日本であり、自分で始めた戦争が終わって「終戦」と言うのは、加害者の立場を薄めるトリックが匂います。

戦争反対を言う前に、日本人はなぜ戦争を始め、どうして戦争に敗れ、どのような影響を隣国に与えたのか、という認識を持たないといけないのではないでしょうか。

正確な認識なしに、当時の社会秩序の中では日本は良かれと思う事をした、隣国に対しては接収された資産がその後の発展の基礎になったし、戦時賠償だってしている、と日本の行動を正当化するのもおかしいし、逆に事実と異なる非難に対しても何の反論もせず贖罪の日々を送るのもおかしいのではないかと思います。

まずは815日を終戦ではなく敗戦と呼び、戦争の始まりから終わりまでを自身の問題として知る努力をしてはどうでしょうか。その努力があって戦争反対が明快に言えるように思うのです

タダの頭なら、いくらでも下げてあげる

助けられた言葉

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私は工学部を卒業して、技術者として働き始めました

元々工作や映画を観るなど1人で過ごす方が好きで、人の好き嫌いも強かったため、いろいろな人と合わせなければいけない営業畑よりも、技術系が向いていると思っていたためです。

たしかに会社に入ってみると、技術者の人間関係は限られており、特に若いうちは組織の外のユーザーはもちろん、会社の中の営業部門など話をすることもほとんどありませんでした。日々与えられたテーマについてより良いものを作り上げる、という自負心を満足させるための努力の日々でした。

しかし、会社に入って10年ほどたち自分の開発したものが販売されるようになると、営業と打合わせたりユーザーを訪問して説明したり、という事も必要になってきました。そんなときに当然、意見の相違が発生します。私は技術者の悪弊でしょうか、絶対に議論に負けないようにしました。自分の正当性を主張して譲りません。そのためにディベートの勉強などもしました。ただイクサに勝って戦いに負けるという事もありました。

ある時、事業部の管理部長だったH部長がそんな私に「タダの頭なら、いくらでも下げてあげる」と言いました。

私は衝撃を受けました。それまで挨拶以外で頭を下げるなど、考えた事もありません。たとえ何か問題を指摘された時も、自分に落ち度がなければ、それを説明すれば良い、としか考えていませんでした。

H部長は、相手がカッカしている時に正論をぶつけても、相手は聞く耳を持っていない。聞く体制に無い相手に議論を挑んでも、それこそ無駄ではないか。まず相手を聞く体制に持ってこなければいけない。そのためには、頭を下げてすむのであればいくらでも下げてあげる、というのです。

確かに頭を下げたからと言って、お金がかかるわけでも、自分の立場を弱くするわけでもありません。まず相手に共感を示し、相手を同じテーブルにつかせた上で、自分の主張を慎重に展開する。こんな経験のお陰で、さらに15年ほど後に転職し営業として働く事ができました。

しかし、一つこだわりがあります。簡単に「すいません」とは言わないようにしています。「お気持ちは理解できます」「お困りですね」とは言いますが、事の真相がわからないうちから「すいません」と言ってはいけないと思っています。そんな意識からするとマニュアル化され挨拶代わり程度に使われる「すいません」は気になります。

CBSドキュメント

お勧め

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20年近く視ているテレビ番組にTBSが木曜午前200頃から放送している“CBSドキュメント”という番組があります。アメリカのCBS放送の長寿ドキュメンタリー番組(日本語字幕または吹き替えが付いています)を音楽評論家のピーター・バラカンさんとTBSアナウンサーの吉川美代子さんが解説してくれます。

番組は殺人事件の真相、政治家を含む有名人へのインタビュー、世界の出来事、脳にまつわる新事実などのテーマを15分ないしそれをつなげた30分、時によって45分で紹介します。アメリカの番組なのでキャスターの質問も直接的で、時には相手が怒りだしてしまうような辛らつな質問もあります。

大きなテーマのうち、“殺人事件の真相”はレイプ事件にしても地方都市の利権に絡んだ事件にしても、まるで小説のような波乱にとんだ話が多く、「おもしろい」と言ってはいけないのでしょうが、人の人生を考えてしまいます

ちょっと特殊なテーマとしては“脳にまつわる新事実”というのがあります。これはアメリカ人が脳のコントロールに関心があるからなのでしょうか、例えば膨大な数字を暗記してしまうようなサバン症候群の人の生活を紹介するとか、言葉をしゃべらない自閉症の子供が実は筆談では素晴らしいコミュニケーション力を持っているとか、先入観をひっくり返すような事実が紹介されます

どのテーマも丹念な取材が感じられ、報道の層の厚さを感じます。CBSは民放ですが、このような報道番組を長年制作している事に、そしてCBSにこのような報道番組の製作を可能にさせているアメリカの視聴者を尊敬せざるを得ません

日本では視聴率が低いためか深夜の放送となり、毎回録画してみています。また残念ながら関東地方のみのローカル放送のようです。質の高い報道番組を日本中で視聴できるようにするためには、地方はNHKが放送する、というような手もあるのではないでしょうか。

公共放送

提案!

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先日、ある新聞の読者の意見欄に「NHKだけ映らぬTVほしい」という投書が載っていました。内容はNHKの番組の中にはたとえ無料でも見たいと思わない物がある、NHKの放送だけ映らないTVがあれば、大手を振って契約拒否ができるので、是非そういうTVを発売してほしい、という意見でした。

確かにNHKといってもアナログ第1、教育、デジタル第1、教育、BS1BS2BShi、その他にいくつかの海外放送、そしてもちろんラジオ第1、第2など、放送の数だけでもいくつあるのか分かりません。まして製作されている番組はいくつあるのでしょう。NHKは公共放送という名の巨大企業です。

確かにNHKが果たした役割は大きかったと思いますし、私もお世話になった気もします。しかし、0年前と違って民放各局だけでなくBSCSさらに海外の放送まで視聴できるようになった現在、果たして公共放送という名のもとに強制的に徴収したお金で膨大な番組を放送するNHKは果たしてどの程度「公共」のために役立っているのか?という疑問が私にはあります。

受信者はどの程度NHKの番組を見ているのでしょう?この疑問の答えをNHKの資料の中に見つけました

NHKの平成20年度の業務報告書(全191ページ)にはテレビの視聴時間量の統計があり(左図参照)、それによれば全テレビ局の視聴時間量でも4時間弱、NHKだけに限れば1時間でしかありません

一日1時間程度しか視聴しないにもかかわらず、その何十倍の番組が制作され放送されています。そしてその費用は全て受信料というお金によって賄われNHKが倒産する事はないのです。それどころか何十もの関連企業まで作って大企業群を形成しています。なおNHKは特殊法人ですから一般企業と違い法人税は免除されているため、利益が出ないように徴収した受信料は使い切らなければいけない事になっているのでしょう。

私はこれからの百年を考えて、本当に公共のために必要な緊急放送を含む天気や交通情報そして選挙の時の政見放送と、ニュース、歌番組、バラエティー、スポーツなど民放と変わらない番組を分けて、前者を格安の受信料ないしは税金で賄い、後者を広告料で賄う形に変えるべきではないでしょうか

番組の善し悪しは別にして、費用を自動的に徴収できる事業というのは基本的な競争原理が働かず、無限に拡大するだけで成り立ちとしておかしいと思います。

スピーキング、ライティング

英語体験

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先週、TOEICのスピーキング、ライティングテスト受けました

TOEIC(トーイック)とはTest of English for International Communicationの略称で、英語によるコミュニケーション能力を幅広く評価する世界共通のテストです

1970年代、日本企業の海外進出に合わせ日本人の英語によるコミュニケーション能力の向上が必要との認識から、米国留学のための資格試験であるTOEFLなど米国公共機関、学校関係のテスト開発で高い実績を持つETSEducational Testing Service)に実効性のあるテストの開発が委託され、1979年第一回のテストが3,000の参加で実施されました。

私が受験したのは1985年ごろですが、当時の参加者は約90,000人だったそうです。現在、世界90カ国で実施され、年間約500万人(国内172万人)が参加している英語コミュニケーション力を10点から990点までのスコアで評価するテストです

一般のテストはリスニング(45分)とリーディング(75分)の問題をマークシートで回答するテストですが、今回受験したテストは直接コンピュータを使って受験者のスピーキングとライティングの能力を測定するテストです。これは2006年に始まった新しいテストで受験者もまだ年間5,000人程度だそうです。テストの構成は左のようなものです。コンピュータ相手なので多少手まどいましたが、実に実戦的なテストでした。

折しも学校での英語教育改革が検討されているようですが、この試験でわかるように英語の学習の前に、自分の感じた事を能動的に表現する、相手の話を聞いて返事を作る、自分の考えを事例、理由を含めて説明する、といった事が身についていないとコミュニケーションは上手くいかないでしょう。コミュニケーション力を磨くためにどのような訓練が必要か、参考になる試験内容でした。

グローバル化対処法 その3

素人の内需拡大策

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先週ある政党の政権公約(マニフェスト)発表会に行ってきました

地方選挙を含め今まで、候補者の演説会を聞きに出かけた事はありませんでしたが、今回は納得して投票したいという気持ちが強く、候補者の名前の連呼を聞くだけでは不満で、会場に出かけました。

会合は夜7時、定刻通り始りました。候補者の所属する政党からも衆参議員が応援に来ていたので、順々に応援演説を行い、候補者が決意表明して「お願いします」で終わりなのかと予想していました。しかし、会合はマニフェストの中から3点を取り上げ、候補者が自分の言葉で解説を行い、応援に来ている議員が補足するという形で進み、1時間半以上に渡り公約の内容、背景、目的、実現方法などが解説されました

持っていたイメージと違い、党のマニフェストを候補者自身の認識と理解に基づいて解説するという姿勢が良かったと思いました。候補者の考えを聞くという機会が今までなさすぎたのではないでしょうか。

さてマニフェストの中で、農業問題が話題になりました。日本の農業はアメリカの大規模農業に勝てるわけがない、そもそも労働集約型産業である農業が中国の低賃金農業に勝てるわけがない。だからと言って、農作物は輸入すれば良いという事では、価格競争力のない農業は成り立たず、食料自給率はますます低下する。だから国は収支が赤字になってしまう場合には農家に金銭保証をする必要がある、というのです。

これは国のグローバル化対処法になりますが、グローバル化により、致命的な価格競争にさらされる産業があります。候補者氏が言うように、生産効率だけから考えれば成り立たなくなる産業があります。しかし、知らない間に遺伝子組み換え作物や残留農薬の多い食物を食べてしまうのが嫌であったり、昨年のガソリン高騰のように突然値段が2倍近くになったり、最悪相手国の輸出禁止措置にあったりするのが嫌であれば、国として必要な物資の最低量は国内で作れるような長期戦略がぜひとも必要ですもちろんそのような産業は保護を受けながら着実に価格以外の付加価値を開発すべきでしょう

この事を個人のグローバル化対処法に投影するならば、外国人の方が安く請負える仕事は、経済性からいって外国人にとって代わられる。ただそのうち生活に密着した仕事は、金銭以外の独自性を磨くという対処法がとれるように思います。金銭以外の独自性とは例えば「親切」「気がきく」「信頼できる」などの資質、金銭では評価できない資質です。

グローバル化対処法 その2

素人の内需拡大策

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特定分野の技能者はグローバル化の中でも生き残っていける可能性が高い、と言っても皆が特定分野の技能者になるわけではありません。多くの人は真面目さ(だけ?)が売り物の一般労働者です。

解放された労働市場で特別な技能を持たない日本人労働者の立場を守るものはあるのでしょうか。以前は「日本語を話す」という事が障壁になっていましたが、最近の外国人タレントや外国人力士を見れば、「日本語を話す」という事が外国人労働者の乗り越えられない障壁ではなくなっています。

政府は外国人労働者を単純労働に限って受け入れれば、日本人労働者の立場は守れると考えているのかもしれませんが、日本語が話せる人間がいれば、日本に来なくても日本の仕事は請け負えます。例えばソフトウエア開発や経理事務などコンピュータを使った仕事はインターネットを使って難なくインドでも中国でも行えるようになってしまっています。グローバル化で日本は日本語という海に守られた島国ではなくなったのです。

従って特技がない日本人労働者は外国人労働者と同じ土俵で競争することを覚悟して対処法を考えなければなりません。島国でなくなったとすれば、地続きのヨーロッパの労働者に学べばよいでしょう。私が感じた彼らの対処方は:

1.  対人処理能力を上げる(上司や部下が外国人は当たり前と考える)

2.  1つ以上の外国語に親しむ(挨拶程度でも話せれば、自分の緊張を下げられる)

3.  成果を説明できるプレゼンテーション力を持つ(成果のない時にこそ、どう説明するかが重要)

4.  定期的に新しい分野、業界に、業種に挑戦する(一社に40年、同じ仕事で定年、という事は今後まず無い)

などでしょう。また日本の派遣社員と違ってフリーランス(個人契約)の技術者が多いのも大きな違いでしょう。

グローバル化に伴う社会変化に翻弄された世代の教訓を生かしてこれからの世代には、より上手く対処してもらいたいと思います。

逆立ちする

英語体験

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自分の英語体験を語っている私ですが、学校での英語は苦手でした、中学、高校と5段階評価で5を取った事はないように思います。特に中学時代はひどかった。授業中何とか先生に指されないように願いました。

そんな私ですが、小学生のころにテレビで良く見たアメリカのホームドラマの豊かな生活への憧れでしょうか、(当時主人公の少年が学校から帰ると冷蔵庫を開けて大きな牛乳瓶から牛乳を飲むのが別世界の出来事と思っていました。)アメリカ人と話がしたいという思いは持っていました

しかし、学校英語のつまらなさは如何ともしがたく、試験のための勉強をするのがやっとでした。そうして高校2年の時にやっと興味の持てる英語の授業に巡り合いました。だいぶお歳の先生でしたが文法を教えつつも、時々外国事情を交えるなどして「外国」に対する興味を育ててくれました。それまでの能動態の文はこうして受動態の文にする、とか未来形にはwillbe going to及び進行形がある、などといった解剖学的英語の授業とは違っていました。

この事があって、気を入れて勉強するようになりましたが、大学に入って、やらなければいけない事が増えると、また試験のための勉強に逆戻りしてしまいました。結局転機になったのは企業に就職して、仕事の関係で米国に出張しなければならなくなった時でした。付け焼刃でしたが500語でできる英会話」という教本を探して勉強しました。仕事の合間の限られた時間の勉強では覚えることを絞らなければと考えました。

限られた言葉で意思を伝える、という時に重要なのは発想を豊かにしなければなりません。日本語をそのまま英語にしようとすると、当然難し単語を使わなければいけません。そこで伝えたいイメージに戻って、イメージの重なる単語を知っている単語の中から選びます。無理やりこじつけたような感じはしますが、何とか意思は伝えられます。たとえば、逆立ちする、をstand on my hand.(スタンドオン マイハンド:手で立つ)と言っても何とか通じるのです。

知っている単語を増やす事は英語習得には必須ですが、どちらにしても日本語と英語が一対一に対応しているわけではないので、伝えたい事のイメージを脹らませる練習は後々も役立ちました