Profile : 高度成長期に学生時代を過ごし、オイルショックで就職に苦労するも、右肩上がりの80年代をモーレツ社員の一員として働き、気がつけばバブル崩壊、希望退職で外資企業に転身して14年。
「世界の中の、明日の日本と日本人」をテーマにしている56歳。
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国立博物館
お勧め
ビジネス » 職業
知り合いの薦めで国立博物館に行ってきました。上野の近くの中学校に通ったため上野の森の博物館、美術館は課外授業でよく通ったものですが、社会人になって30年近く足が遠のいていました。国立博物館も現皇太子殿下のご成婚記念に平成館ができ全体的にもリニューアルされたように思います。当日は雨で博物館内の庭園を散策する事は断念しましたが、特別展を見た後に常設展示(平常展と言うそうです)を見ました。実は知り合いは平常展の方を薦めていたのです。
展示はアメリカのメトロポリタン・ミュージアムの規模には至りませんが、また構成が分かりにくいように思いましたが、個々の展示品の質は期待以上でした。特に平成館の中の日本の古代、縄文から弥生、古墳時代あたりまでの展示は印象に残りました。まず私は土器、埴輪など教科書の写真でしか見た事がなかったので、大きさはせいぜい20-30センチぐらいの玩具のようなのものだろうと思っていたのですが、実際に見てみると縄文時代の土偶や火焔土器は美術教科書の写真で見るよりボリューム感があり、あの岡本太郎がインスピレーションを得たという事も納得できるような斬新な発想を感じました。現代人も1万年近く前の縄文人も人間としては大差ないのかも知れません。また弥生時代の土器や埴輪は大きく精巧な作りで、埴輪の中には表情も明るく「口角を上げて」笑っているものもありました。現代が必ずしも弥生時代よりも幸福だとは限らないのでしょう。
明るい話題がなく、元気の出ない日本ですが、祖先が作ったこれらの品々を通して、その生活を思うと何千年も前に我々の祖先は元気で、明るく暮らしていたのだろうと想像し、「日本人も捨てたものではない」と少し誇らしく、元気が出てくるように感じました。
なお平成館にはラウンジがあり、日本の博物館にはめずらしく中で持ち込んだお弁当を食べる事ができました。ゆっくり展示品を見て休憩をとれる館内の作りにも、「日本も進歩したじゃないか」と30年の経過を納得したのものでした。
政治家の発言
社会問題
ビジネス » 職業
国会答弁は役人の書いた台本を棒読みする習わしのようで、心を打つ答弁はまずありません。スピーチライターが書いていると分かっていてもオバマ大統領の演説が高い人気なのとは大きな違いです。
先日の国会答弁で、リーマン・ブラザースの破たんの影響について現在の心境を聞かれた与謝野経済財政相は「日本の金融機関の大変厚い資本を考えれば、まさにハチに刺された程度だろうと今も思っている」と答弁しました。さすが与謝野鉄幹・昌子の孫、なんと文学的な表現かと思いましたが、まったく意味不明な答弁でした。案の定、真意を聞かれた大臣は「“蚊に刺された程度”という言葉があり、(比較すれば)そんなに軽いものではないという意味で使った」と釈明する事になりました。またさらに「ハチもいろいろな種類があって死に至るものもある。ばかにしてはいけないという意味を含めた」加えて「いたずらに不安の連鎖を起こしてもらいたくないという意味も含めた」と補足していました。
なぜ日本の政治家はストレートに本心を言わないのでしょう。与謝野大臣のアゲアシを取るのが目的ではありませんが、後からどうとでも言い訳できるような発言をするのではなく、なぜ「バカに出来ない問題だが、不安の連鎖に陥らぬよう慎重に対策を検討したい」と最初から言わないのでしょう。それが政治家の誠実さではないでしょうか。オバマ大統領の場合、スピーチライターが書いた台本であっても、たぶん骨子は彼が指示し、最終的には彼が納得した台本を語っているので、彼の政策が成功するかどうかはともかく、その語り口の誠実さによって、彼に信頼感を抱くのではないか思います。
政治家の武器は権力ではなく説得力のはずです。説得力の源はもちろん実現可能で効果のある政策ですが、それを語る誠実な態度を抜きにしては人には伝わりません。役人が答弁の台本を書いても良いのです。大臣本人が台本に説得力がないと思えば訂正させて、早く信頼感の持てる答弁を聞かせてほしいものです。
大きな文字
はじめに
ビジネス » 職業
まだブログを綴り始めてわずかな日数しか経っていませんが「ブログの字が大きいのが良いですね」との感想をいただきました。内容はともかく、字を大きくした事が喜ばれてうれしい限りです。確かに『口角を上げて』は一般のブログに比べ字の大きさが二回りは大きいのではないでしょうか。一般のブログは字が小さいうえに見るときは、必ず画面のスクロールが必要でしょう。小さい文字の文章をスクロールしながら内容を追うのは、書籍の文章を追うのと違って集中力が切れるのか大変です。文字を大きくして画面をスクロールした時にも字を追いやすくする。これが一つの効果ですが、もう一つ字を大きくした理由があります。
テレビは深夜、というより朝方まで番組を放送し、インターネットは24時間使え、携帯電話はいつでも相手を呼び出す事ができます。情報が過多だとも言えるでしょう。情報の作り手は言葉や表現を吟味するよりも情報量の多さ、露出度の高さ、刺激の強さを競い、情報の受け手は情報を「読む」「聞く」「観る」のではなく、情報を「消費」する。過多な情報を「消費」するのが時代の風潮なのかもしれません。こうなると自分の意志で、情報を選択し、疑問を感じ、批評し、考えを深める事にはならないように思います。言葉の表現力を高めないと個々のコミュニケーションは豊かにならないでしょう。字を大きくすることによって、一つの話題の字数を制限し、その制限の中で相手に伝わる表現を探し、文章にしたいと思います。
『口角を上げて』は専門的な事をコウマイに書くのではなく、生活の中で経験したこと、感じた事、考えた事を綴りたいと思っています。しかし、けして日記風のつれづれ書きにならないように、お得な情報として「消費」するのではなく、何かしらの参考として「読んで」いただけるような内容を目指したいと思います。
失敗と対策
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
私がチームを率いて仕事を始めた25年ほど前、「何が原因だったと思う?」と仕事での失敗について聞くと、黙り込んでしまう人がいました。私は同じ失敗を繰り返さないために、失敗の原因に気付けば何か改善が出来ると考えていただのですが、まじめで優秀な技術者の一人だった彼の沈黙の原因が分からず、上手くいきませんでした。
しかし後年、同じようなケースで別の人が沈黙の理由を「どのように改善したら良いか、考えがまとまらなくて…」と言いました。その時私は、彼らは原因究明と対策立案を混同していた、しっかり原因を究明せずに対策を検討するため、効果のありそうな対策がなかなか見つからず、返事が出来なかったのだろうと気がつきました。実践教育の機会の少ない日本では、失敗すること自体まれで、失敗の原因を分析し、それに基づいた有効な対策を考えるという気質が身につかないのではないでしょうか。
一方、外資の会社で外国人と仕事をするようになって彼らのプレゼンテーション力には驚いたわけですが、特に(前任者だけでなく自分の失敗を含めて)失敗を踏まえ、新しい対策の有効性を訴える手法は勉強になりました。外国で黙っていたら勝負に負ける、とはよく言われる事ですが、議論の場では自分の成功体験だけを語るわけにはいきません、自分の失敗も利用して自分の考えをアピールしなければいけないこともあります。
技量では負けない日本人も、議論で負けてしまっては仕方がありません。自分の失敗を正しく語れるような気質を身につけることが、議論やプレゼンテーション慣れしている外国人と同じ土俵でビジネスするために必要になるでしょう。
チェックリスト
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
「あっ、ケイタイ忘れた!」「定期券がない!」朝のいそがしい通勤途中で、はっと気が付く不甲斐なさ。今から家に戻っていては予定の電車どころか次の電車にも間に合わない。時々こういう事があります。今日は朝急いでいた、昨日帰ってきたときにケイタイを別の所に置いた、背広を着替えた、原因はいろいろあるでしょう。こういった失敗をすると、今度こそ慎重にやろうと決意するのですが、暫くすると別の原因で同じような失敗を繰り返してしまうのです。
「間違えをしないようにしよう。」という決意は正しい対策だとは思えません。人間に完全を期待するのは精神論で、精神論が良い結果をもたらすのは非常にまれです。人間は間違えを犯すものだという前提に立って、間違えを未然に防ぐ方法を考えるほうが正しい対策ではないでしょうか。
仕事場面でケアレスミスをした人に、「対策は?」と聞くと、ブスッとしたまま、黙り込んでしまう事があります。不注意だったと認めているのに、いつまでも責めて、一回のミスで私をいい加減な人間だと決めつけて、意地悪な人だな、と思っているのかもしれません。しかしそうではないのです、ケアレスミスだから、今度から注意しますから、というのは別の意味で精神論です。ケアレスミスにも対策を講じなければ、ミスは繰り返します。
対策は簡単です。ミスを排除する動作、事項を記述したチェックリストを作れば良いのです。そのリストに基づいて必要事項を動作で確認すれば、うっかりケイタイを忘れることも、仕事でケアレスミスをすることも防げます。リストを作るなど子供だましだと思う人もいるでしょう。しかし飛行機の操縦など、人命に関わる仕事は精神論ではなく、全てこの方法で完全を目指すのです。自分は慎重で、間違えをしないと過信するのではなく、一度失敗したら失敗の原因を整理してチェックリストを作り、それを使って動作で確認する。また私はこのようにして、自分を完全な人間にしようという精神論が不要になったのでずいぶん気が楽になりました。チェックリストで確認する事を忘れない限り二度と失敗する事がないのですから。
正しい事の見直し
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
行政改革論議の中で引き合いに出される事の多い『私のしごと館』という若者を対象にした施設が京都府にあります。これは職業体験の機会、職業情報、職業相談等の提供の為、厚生労働省が2003年に開設しました。この施設の存在意義についてはいろいろ議論され、おおむね無駄であるとの判断から廃止されるものと思われます。
ではなぜこのような施設が造られてしまうのでしょう。二度と同じような施設を造らないための予防策はないのでしょうか。まずこの施設がなぜ作られたのか調べてみました。施設の設置根拠は雇用保険の目的の一つ、労働者の能力開発にありました。雇用保険法(旧失業保険法)には大きく二つの目的があります。いわゆる1)失業等給付と2)雇用安定・能力開発事業です。1番目の目標が分かり易いのに比べ、2番目の目標は、具体的で無いためいくらでも拡大解釈が出来そうですが、それ自体崇高な目標であり真っ向から反対するのは難しいでしょう。
しかし雇用保険法の前身である失業保険法が制定された60年ほど前と違い職業訓練を目的にした民間の学校、施設が充実している昨今、国が若年者の能力開発を行わなければいけないとは思えません。その余裕があるのであれば失業給付を手厚くするなど他にやるべき事があると思います。つまり『私のしごと館』などの施設の意義を議論するだけでなく、なぜそのような施設が出来てしまったのか、その存在の根拠になっている法律が現在の状況に照らして今でも正しい事なのかを見直して、必要に応じて法律を修正しないとまたいつか無駄としか思えない施設を作ってしまう可能性があると思います。
社会には未来永劫、無条件に正しい事など無いのですから、常に何がどういう理由、どういう条件で正しいのかを見直す必要があるでしょう。
漠然とした不安
社会問題
ビジネス » 職業
生命の危険は少なく、餓える人もほとんどいない、識字率はほぼ100%の文化的国家、日本。その国民である私はこの10年ほど何か満たされず、仕事場面での充実とは裏腹に個人としては悶々と、漠然とした不安を持っていました。
これは厄介なものです、具体的な不安であれば対決し、解決することもできるし、避ける工夫もできます。しかしただ漠然とした不安は原因が分からないだけに解決も回避もできず、仕事や運動にのめりこんで不安をかき消すぐらいしか方法がありませんでした。
しかし、ふと自分が常に「改善、改良、無駄を省いて生産性向上」と考えていることに気付きました。無理もありません、工学部の学生だった約35年前、半年ごとに電卓の値段が半値になり、入学した時には20万円以上した電卓(というより卓上計算機)が3年生の時には1万円台になり自分で買う事が出来るようになりました。「改善、改良」が輝かしい未来を築くと信じ込んでいましたから。「何か問題はないか、今のやり方が良いと思うな。」常に現状を否定し、次の何かを求める、ちょっとした不都合も完璧にしなければいけない。
この仕事での性癖が習い性になって日々の生活でも、何かに追われるように、パソコンを使わなければ、これからは携帯電話だ、今こそ外貨預金だ、等々いろいろな物に取り組みますが、それによって満たされるわけではありません。次は何をしなければならないのか、先のことばかり考える。しかし今日の完璧も、明日になれば否定される。この尽きる事のない連鎖が不安の原因ではないか。
そしてこの原因から考えて逆のことを試みることにしました。例えば習字、毛筆も良いと思いますが、ペン習字でも効果はあります。文章ではなく一文字一文字を丁寧にゆっくり、きれいに書く。生産性の向上余地などありません。ただ何回も何回も書く。書いただけ僅かずつでも字の形は整い、達人の域にはとうてい達しませんが、振り返ってみれば進歩は感じ、自分に自信が持てるようになります。この長い長い道を一歩一歩進むようなところが改善の連鎖を断ち切り、漠然とした不安をはらうために効果があるように思うのです。
効果の上がる行政改革
社会問題
ビジネス » 職業
行政改革が言われて久しい。国鉄が民営化されJRに、電電公社がNTTに、そして最近郵政省がJPと郵貯銀行になったのは分かるとして、省庁や特殊法人の統廃合はどうなっているのでしょう。単なる名称変更や、二つを一つに統合し名前を変えて定員、予算は変わらずといったところがほとんどのようです。元々行政改革の目的は行政コストの削減だったのではないでしょうか。民間企業では明確な目標のもとに対策が立てられ、その効果がチェックされ、効果が出なければ対策が練り直されます。行政改革に目に見えた成果が上がらないのは改革の目標設定に誤りがあり、それによる対策が実行段階でなし崩しになるのではないでしょうか。
改革に対して「抵抗勢力の反撃が」などと言われますが、もともと改革に抵抗は付き物で、抵抗が予想される目標を立てるから実務にたけた抵抗勢力に対策をなし崩しにされるのでしょう。元々抵抗できないような根本的な目標を立て対策を強行しなければ抵抗勢力との抗争は延々と続きます。根本的な目標とは予算と人事です。民間企業では売り上げが予定に達しないので予算一律20%カットとか、目標未達の責任を取って部長、重役が移動、退任という事は起こりえることです。
行政改革でも省庁や特殊法人の数を減らすとか、高速度道路の建設は何千キロにするといった2次的な目標ではなく、予算一律20%カットといった根本的な目標を立て、人事権を行政府が掌握して厳正に目標管理すれば、いつまでも赤字国債を発行し続け、はては歳入不足が本来の問題だ、などと言う問題のすげかえが起こることはないでしょう。ただし、コストを一律20%カットしても仕事の質を20%ダウンして良いというわけではありませんから、顧客である国民の満足度も合わせて調査・評価する必要もあるでしょう。
しごと体験
心構え
ビジネス » 職業
製造業離れ、3K嫌い、若者の職業感は大きく変わり、フリーター、派遣社員がもてはやされて、昨今腰を据えて仕事を身に付けようという考えは不人気のようです。
このような傾向を憂えてか、厚生労働省が『私のしごと館』という施設を開設しました。この施設は「若い人たちが早い時期から職業に親しみ、自らの職業生活を設計し、将来にわたって充実した職業生活を過ごすことができるよう、様々な職業に関する体験の機会や情報を提供する」そうで、「触れて、体験」し「考え」、「学ぶ」参加型の施設だ、との事です。
しかし実態は小・中学生に対し簡単な仕事の疑似体験をさせる施設でしかありません。マニュアル化された本物風の作業から得られるものは、薄っぺらで安易な仕事の理解でしかなく職業生活の設計など望むべくもないでしょう。例えば伝統工芸の仕事として挙がっている京焼・清水焼では体験時間1時間の中で湯飲みに絵付けを行う事が出来き、後日焼きあがった湯飲みが送られてくる、との事です。このような体験内容は伝統工芸に限ったことではなく、先端技術として挙げられている宇宙開発の仕事なども含め、すべてこの調子です。
青少年にいろいろなチャンスを与えることも重要ですが、何の苦労もなく、強い欲求もないまま体験した事にどの程度の感動があるでしょう。マニュアル化された仕事を除けば、どのような仕事も簡単に身に付くものではなく、先輩の技術を盗みながら工夫して、身につけるものでしょう。時には辛く厳しい事もあるでしょう。青少年に職業生活を設計させたいのであれば、企業や工房などの現場で、まず仕事を一歩一歩身につける喜びと仕事への真摯な態度を学ばせる事が必要であり、その為のインターンシップ(就業体験)を拡充する支援制度を設けるほうが実質的で、本来の目的にかなうと思います。
人口減少
社会問題
暮らし » 一般
「日本は閉塞している」と言われます。バブル崩壊。失われた10年。産業の空洞化。明るい話題がありません。それにトドメを刺すように2005年には人口が増加から減少に転じ、2050年には1億人を割り込むと言われています。日本には明るい未来はないのでしょうか。人口の減少は不幸の始まり、なのでしょうか。
「数は力だ!」と言った人がいます。たしかに人口は国力の分かりやすい指標でしょう。だからと言って人口減少という事実を前にして未来への希望を失う前に、人口減少の意味を冷静に考える必要があるでしょう。
日本の人口は弥生時代から室町時代まで緩やかに増加し、戦国時代から江戸中期にかけて大きく増加、江戸後期に停滞するものの、明治、大正、昭和と爆発的に増加しました。人口が2割、3割減少するという経験がありません。しかしヨーロッパ、たとえばイタリアでは15世紀に猛烈な人口減少が起こりました。1300年約900万人と言われた人口が1500年には550万人、僅か200年間に4割も減ってしまったそうです。しかし同時にルネサンスと呼ばれる文化運動がおこります。レオナルド=ダビンチが『最後の晩餐』を描いたのが1498年と言われていますが、絵画だけでなく活版印刷、羅針盤、火薬の発明がなされ、その後の社会変革の基礎を築いたのです。
この事からも、人口減少が社会の停滞、閉塞化に直結すると考えるのは短絡的過ぎるようです。本来の問題は国土と国土の再生力に見合った人口を維持しながら、豊かな国土、豊かな社会をどう実現するかです。人口構成の高齢化は付随する課題ですが、豊富な社会経験と十分な体力を持った中・高齢者が、創造性と独自性を高め、積極的な働き手として役割を担い、社会として年功序列システムとは違った中・高齢者の活用システムを作り出せば、課題を利点に転換して、人口の多い少ないに関係なく活力をもった豊かな社会が築けるものと信じます。
選択と集中
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
右肩上がりの経済成長が終わり、グローバル化の中で企業の競争が激化すると「選択と集中」が重要と言われるようになりました。しかし経済成長期に定着した多角経営志向切り替えるのは容易ではないようです。「選択と集中」の反対にある戦略は「総合化」でしょう。関連する事を何でもまとめる。それ自体考え方としてはおかしくないし、適した状況下では効果的でもあったでしょう。
要するに競争が国内企業だけで数が限られており、技術革新のスビードも今ほど早くなかった時代には関係する事業を取り込んで規模拡大する企業の利益になったのでしょう。しかしインターネットと携帯電話によってグローバル化した現在、たとえ総合力を持った大企業でも革新的な技術や新しいビジネスモデルで参入する新興企業にいつ足元をすくわれるか分かりません。そこで大企業といえでも本当に自社が強い分野、伸ばしたいと考えている分野を選択し、それに集中しなければ、特定の分野に専念している企業との競争に勝てなくなってきています。だから「選択と集中」が必要なのです。
個人の仕事でもこの「選択と集中」という考え方は必要になっています。好奇心が大きすぎるのかいろいろな事に手を出すのですが、みな中途半端になって十分な成果が出せない。人に頼まれると断れず、掛かり付けの仕事中に別の仕事を始めてしまう。いくつかの仕事を同時並行で行わなければならない時には、それぞれ1時間単位の目標を決めて、時間で仕事を切り替えるという方法があります。頼まれ事を引き受ける時には仕事の緊急度を確認し、仕掛り中の仕事との優先度を事前に依頼者と相談するのも必要でしょう。どんなに優秀な人でも能力は無限ではありません。能力を有効に生かすためには「選択と集中」が必要です。
チェンジと安定
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
10年ほど前、私のところのセールスマン募集に、自分の日本語力をわかってほしいと原稿用紙2枚ほどの小論文をもって米国人(仮名をマイク君としましょう。)が応募してきました。海外のソフトウエアを輸入販売するのが私の部門の仕事ですから英語の読み書き、会話力が条件でしたが、彼の場合は逆にお客様との商談などでの日本語力が心配だったわけです。流石に米国人、相手の心配を見通して小論文を、それも手書きの、漢字も使った論文を用意してきたわけです。
テーマは米国人(西欧人と言っても良いと思いますが)と日本人の違い、でした。マイク曰く「米国人が一番大事にする考えはチェンジ、変化です。何かやってみる、上手くいかない、変えてみる、上手くいかない、変えてみる、上手くいった。これが大事です。」「これに対して、日本人は安定を求めます。変えること嫌いです。だいたい『前例がない』です。」
マイクはこの二つの国民性の違いを知っている自分こそこの仕事には最適だ、と力説しました。米国の大学で日本語を学んだという彼の日本語力にも感心しましたが、米国と日本の違いを変化と安定(不変化と言ったほうが良いかもしれません)としたマイクの分析は学生離れしたものでした。たぶん良い参考書を見つけたのでしょう。
確かに日本人は「変えること」に神経質ではないでしょうか。できれば昨日と同じでいたい。昨日と違う事をやるのは気が進まない。一度立てた目標に向かい、死に物狂いで努力するのは得意ですが、ちょっと立ち止まって周りを見渡し、立てた目標が今でも重要なのか考えて、目標自体を変えるという事が苦手のようです。30年、40年前の需要予測による無駄な公共投資や大企業の過大な先行投資など、計画実施担当者は計画立案時の環境がどのように変化しているかに関わりなく、計画の達成度だけに血眼になる。いろいろな場面で見られるように思います。
一方、オバマ新大統領のお陰もあってチェンジは時代のキーワードのように言われますが、「変えること」自体が良いわけではありません。変えるためには変えなければいけない原因を正しくつかみ、より正しいと確信する方向へ変えなければいけません。思いつきでいろいろやってみても正しい方向に向かうという保証はありません。継続性を踏まえて必要な変化を決定しなければなりません。
私は「変化と安定」は対局する考えではなく、変化し安定し、安定する中で変化する。ある期間毎に変化と安定が繰り返すのが、あるべき姿だと思います。日常の仕事の場面では、何か問題が起こると直ぐに「それではこうしなければ」とあわてる人がいますが、今までやってきた事をそっちのけにしては、今までの努力が何だったのか分からなくなります。新しい取り組み方に切り替える前に、今まで進めてきた事が、新しく発生した問題を含めて対応可能か否かを判断する必要があります。対応できるのであれば進めてきた事をより強力に、スピードアップして進めればよいし、対応できない理由がはっきり見つかれば全てを中断して、現時点で行うべき最適な対応策を決定し、頭を切り替えて全力でその対応策を実施しなければなりません。最悪なのはいろいろ手を尽くしながら結局いつまでも出口が見つからないことです。
派遣と社員教育
ちょっとした対策
ビジネス » 職業
私の仕事のソフトウエア輸入販売の中で、いく人かの「派遣」技術者の方に仕事をお願する機会がありました。デモンストレーションやトレーニングを行ったり、新バージョンをテストして結果をレポートするといった、目標に合わせて自分で計画を立て、判断をしながら進める仕事でした。
20代半ばの、大学を卒業し派遣会社に就職、業務経験は2、3年という人たちです。以前から中堅技術者を即戦力として派遣する会社はありましたが、大学を卒業して実務経験のないまま派遣会社に入社して「派遣」で仕事をする、という労働形態はつい最近のものではないでしょうか。もちろん派遣会社 (良心的な会社) も社内で基礎教育を行ったり、派遣の前に受託業務などでトレーニングして最低限の技術知識は習得させて、派遣しているようです。
そして派遣技術者の仕事ぶりを見ていくうちに、私が新入社員として会社に入った約30年前と違い非常に厳しい環境で働いているなあ、と感じました。もちろん派遣先で働くという不安定さもあるでしょう、しかし、それよりも1時間、1時間を金額換算され成果を求められるのを常に意識するのは大きな負担、焦りにつながるのではないでしょうか。落ち着いて考えるという余裕はありませんから、さしあたりの技術知識を頼りに手当たり次第やってみるしかないのです。私が30年前、新入社員の時に先輩に質問し、問答の中で疑問を解消しただけでなく、技術知識の上に考え方や仕事の進めかたを会得したようなチャンスは彼らにはほとんど無いでしょう。
「派遣」という労働形態は日本企業の競争力を支えた一つの柱、社員教育を容易に破壊してしまったようです。会社は1時間、1時間お金を払っているのだから即戦力を求め、派遣者は深く考ず、さしあたり手を動かしてしまう。これでは定型業務をこなす事は出来ても、工夫が必要な非定型の業務はいつまで経ってもこなせるようにならないでしょう。
これは由々しき事です。これでは日本の製造業の創造性、競争力は急速に衰えるでしょう。「派遣」という労働形態が必要とされる以上以前OJTと呼ばれていた業務の中での教育、具体的に言えば「考え方」や「仕事の仕方」を若い、明日の日本の製造業を担うだろう技術者に伝えなければいけない。若い技術者の中にも仕事における方法論を模索している人は多いはずだ。これが私が自分の経験や自分なりの工夫、考えをまとめてみようと考えた切っ掛けでした。何か興味の持てる、何か参考になる事が見つかれば幸いです。
口角を上げて
はじめに
ビジネス » 職業
まずブログの名前について説明しましょう。
日本人と外国人、特に男性サラリーマン、第一印象の違いは顔の表情、特に口角が下がっているか上がっているかではないかと思います。口角、つまり口元が私を含め日本の男性サラリーマンはほぼ100%下がっています。口がへの字になっているわけです。人によってさらに下くちびるが突き出してブルドックのようになってしまう事もあります。これは権威をもった、いわゆる課長さん以上の”偉いサン”に多いように思います。日常業務の難題に真剣に取り組んでいる、というサインかもしれません。これに対し外国人はあまりこういう表情をしません。口は少し開いて、口元が若干上がります。握手のときなどさらに口角が上がり上唇から上の前歯がのぞくかもしれません。(ただしここで下前歯まで見えることはほとんどありません。)
一方で「唇をへの字にした顔よりも穏やかな顔は信頼感を与える。」という事は多くの人が分かってはいます。しかし穏やかな顔をどうやって作るか、方法が分かっていないし、その練習もされていないのです。無理もありません、髪型の気になる若人を除き、自分の顔を鏡で見るのは朝夕の歯磨き、髭そり、またトイレでの手洗いぐらいで、自分の口元を意識するのは写真を撮られる時ぐらいだからです。そう写真を撮られる時の「はい、チーズ」の要領で口を横に広げ、左右の口元を上げる。これによって頬の上に若干しわがより、目もとが柔らかくなる。さらに上前歯だけが見えるように、下あごを引けば完璧。これを意識して仕事の場で実践すれば、オフィスの余分な緊張感も緩和され仕事への集中度も高まるでしょう。
という事で、表情から明るさ、信頼感を作り出す工夫と努力が必要なように、暗い話の多い昨今の社会情勢を打開するためにも、口をへの字にしながら当たり前の建前論を繰り返すのではなく、口角を上げ独創的な具体策を議論することが必要と思います。この思いからブログのタイトルを「口角を上げて」とした訳です。評論家的な批判ではなく、ハッとする新しい視点で具体的なことを、いろいろな話題について綴りたいと思います。