Profile : 高度成長期に学生時代を過ごし、オイルショックで就職に苦労するも、右肩上がりの80年代をモーレツ社員の一員として働き、気がつけばバブル崩壊、希望退職で外資企業に転身して14年。
「世界の中の、明日の日本と日本人」をテーマにしている56歳。
December 2009 (15)
November 2009 (15)
October 2009 (16)
September 2009 (14)
August 2009 (15)
July 2009 (15)
June 2009 (16)
May 2009 (16)
April 2009 (22)
March 2009 (9)
February 2009 (13)
January 2009 (14)
ペットの世話
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資料によれば全国には1,252万2千頭の犬と、1,018万9千頭の猫がペットとして飼育されていて(2007年)、毎年増加傾向にあるそうです。ペットはかわいいものですが、生き物である以上手間もかかります。わが家は猫派で、同居するようになって25年ほどになるでしょう。初代はとうに亡くなり、二代目も土の下です。現在三代目、四代目、五代目(血縁関係なく、同居を始めた順です)がわが家に暮らしています。
猫は躾さえしっかりすれば、あまり手は掛りませんが、し尿の世話にはずいぶん悩みました。当初は新聞紙を割いて段ボール箱の中にふわりと敷き詰めてし尿を吸収するようにしましたが、糞との分離がし難いのが問題でした。その内人工の砂をいろいろ試しましたが、し尿の吸着が悪かったり、砂が箱から飛び床に散らばってしまって、これという決め手がありませんでした。
7-8年前だと思いますが花王の「ニャンとも清潔トイレ」という、し尿吸収マットを設置するトレー、その上にプラスチックの網があり、網の上にし尿と糞を分離する為のチップ一定量保持できるケース、3つが一体になった専用の猫用トイレを見つけ利用していました。まず1)し尿と糞が分離される、2)チップはし尿を吸わないので臭いが少ない、3)猫の習性で糞を隠そうとする時、チップ(鉛筆よりも一回り細く15ミリほどの長さの円柱状)の大きさが適当なのか、周りにあまり飛び散らない、等の利点がありました。
チップがし尿を吸収するのではなく、網の下に落ちてパッド(針葉樹の間伐材が主原料)に吸収させるというアイディアは良かったのですが、チップが汚れはじめると、汚れたチップと汚れていないチップの区分けが出来ず、チップ全量を一度に交換しなければならないという問題がありました。(多少値段が高い)そこでいくつか別メーカーの類似形状のチップを2、3試したところ、新東北化学工業という会社の松の木を原料にしたチップが良いと分かりました。
チップの形状はほとんど花王の物と同じですが、し尿を吸収すると膨らんでオガクズ状に変わります。そこでスコップでオガクズ状に細かくなったクズを数回網の上で掻き回すと、クズは網の下に落ちて、網の上にはし尿で汚れていないチップだけが残ります。チップが少なくなれば、足りない分だけ補給すれば網の上には常にきれいなチップだけがある事になり経済的。天然の松は自然の消臭力・抗菌力が長持ちするそうで、臭いもほとんどありません。また鉱物系の砂よりし尿の吸収率が良いと思います。「ニャンとも清潔トイレ」と松チップの組み合わせが最終解決策だったようです。
銀座三原橋地下街
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バブル崩壊後の10年でも、東京では休みなく街の再開発がおこなわれ、古い建物が小奇麗なビルに代わってゆきます。新しビルはきれいで、目新しく興味を引きますが、昔ながらの街の一画が、こういう世の中であればこそ得難いもののように思います。
そのような気持ちから時々訪ねる一画の一つが銀座三原橋地下街です。三原橋と言っても銀座の何処?という人も多いと思いますが、銀座4丁目から晴海通りを歌舞伎座方向に向かって150mmほど行った道路が盛り上がっている地帯の下が地下街になっているのです。この地下街は歴史をさかのぼれば、戦争直後までここに流れていた三十間堀川という川にかかっていた橋の橋脚の下なのです。空襲で廃墟と化した東京の瓦礫の処理のため、川を埋め立て、用の無くなった橋の下が地下街になったわけです。(川が埋め立てられる前の米軍撮影の航空写真が国土地理院の下記サイトで閲覧できます。)
私が十代の頃は、消毒液の匂いのする映画館や立ち食い飲み屋などが軒を並べた謎めいた空間でした。今では映画館も名画座のようになり、近くの焼肉割烹店も小さな出店を出して、ランチにもサラリーマンで一杯です。けして立派な場所ではありませんが、いわくありげな存在感があります。銀座は元はと言えば江戸時代の埋立地、数寄屋橋の所に江戸城外濠、三原橋の所には堀川、そして東銀座の首都高の所を築地川が流れていました。今とは風景の違う水の都だったのでしょう。そんな面影を僅かに匂わせる三原橋、そんな所が小奇麗に姿を一新するのではなく、昔ながらに生きているのは都会の変化の歴史を感じさせてくれます。
オフィスビルや駅、空港などは便利で、合理的なのが良いでしょうが、人が生活する街は合理的なだけでは、愛着がわきません。街の再開発では時間の経過を感じさせる“謎めいた空間”なども仕込む工夫があると良いと思います。
国土地理院:国土変遷アーカイブス:
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M142-A-5No2&photono=30
富士はもう雪
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暑かった夏は遠くに過ぎ、めっきり秋らしくなってきました。
久しぶりに富士裾野、富士急十里木(ジュウリキ)高原別荘地内にあるお蕎麦屋さんに行ってきました。途中の自衛隊東富士演習地一帯はススキ河原になっていて、ススキの海に浮かぶ富士山は先週雪が降ったそうで早くも雪の装いでした。時は確実に巡ってきます。
お蕎麦屋さんは別荘地内の八幡神社近くにあるのですが、都内有名デパートの紳士服作りを仕事にしていた方が第二の人生は自分のペースでと奥さんと始めたお店です。お店に入るとカウンターとテーブル席が4つほどの広さですが、カウンターの前には広い一枚ガラスの窓があり、季節を通じで裏庭の林の中を飛ぶ小鳥達を観ることができ、格別のゆったりした時間を過ごすことができます。
ネットでの紹介などもしていない店なので、連休など近くのサファリパークが混む日以外はなじみ客しかいないので、食事後にご主人ご夫婦とお話しするのも楽しみの一つです。いわゆる脱サラお蕎麦屋さんですが、お蕎麦は素材、舌触り、温度、そばつゆ、器類ともに1級です。
私が良いと思うのは、特に蕎麦の盛り付けです。美味しい蕎麦であればある程、蕎麦はそばつゆをあまり浸けない方がおいしいと思うのですが、そのためには蕎麦をある程度長くつまみ上げないと、そばつゆの中に半分ぐらい浸けて、素早くツルツルと食べることができません。一つまみが多いと蕎麦がジャバとそのままそばつゆの中に入ってしまい、そばつゆに丸ごと浸かったそばを食べることになります。つまり箸で蕎麦をつまむ時、蕎麦が数本の束ごとにまんべんなく、ばらついて皿盛られていると、蕎麦をつまみスルスルと長くつまみ上げることができます。
御主人は「良い生地でないと、良い服は作れない」とイタリア人職人に仕込まれたそうで、服作りでは数字でなく手触りの感覚で生地の善し悪しを判断できる職人の自負を持ち、蕎麦作りでも“手先の仕事”に拘っています。蕎麦の盛り付けも意識してやっているのか、自然とそうなっているのか分かりませんが、手先の仕事の気づかいを感じる蕎麦なのです。
このブログも今年1月にはじめ10カ月目に入り、この18日には10,000アクセスを超えました。つれづれ事でなく、今までの経験、今思う何かを自分なりにまとめられれば、面白く読んでもらえる事もあるのではないかと始めたわけですが、2日に一回の更新ペースがほぼ守れているのも見ていただいている方々がいるという励みあればこそ。日記であれば三日坊主で終わっていただろうと思います。有難うございました。そして今後とも宜しくお願いいたします。
和菓子
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日本橋近くに行く用事があると、寄る所があります。東京駅八重洲口から日本橋高島屋に向かう道の途中にある「長門」という和菓子屋さんです。間口二間ほどの小さなお店ですが昔からのお店で、いつも誰か先客がいます。
もちろんいろいろな和菓子があるのですが、私のお気に入りはワラビ粉を使ったくず餅です。もちろん洋菓子も好きですが、年齢とともにケーキ類よりも和菓子の方が胃にやさしく感じられるようになり、好きになってきました。
金平糖などの砂糖菓子が入ってくる前は日本の菓子は木の実や果物だったといわれます。このくず餅もワラビ粉が入っているせいか普通のくず餅より柔らかく、きな粉をかけるだけの素朴な甘みが魅力です。
実はこのくず餅が好きなのはその美味しさもあるのですが、昔ながらの“包み”が理由でもあるのです。もちろん昔と違って衛生上の配慮からか、くず餅自体はプラスチックのフィルムに包まれていますが、お店の包装紙に包まれ化粧紐で結ばれています。今では少なくなってしまった、このような包装を解いてお菓子を取りだす手順も、一つの味わいの工程なのです。
今は甘みのはっきりした個性豊かな「スイーツ(洋生菓子)」ばやりですが、なめらかで穏やかな味の和菓子にも生き残ってもらいたいと思います。
でも僕はレースが好だ
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ツール・ド・フランス100周年記念大会のドキュメンタリー映画「マイヨ・ジョーヌへの挑戦(原題HELL ON WHEELですから“自転車レースの修羅場”というところでしょうか)」を観てきました。
ツール・ド・フランスは毎年7月にフランスを中心にスペイン、イタリアなど周辺国を含め3週間ほどに渡って開催される自転車のロードレースでタイムトライアル、山岳などいろいろなステージがあり全行程3,000km、高低差2,000mmの過酷なレースです。新人賞、山岳賞などいくつかの賞があるのですが、個人総合時間賞がマイヨ・ジョーヌとよばれ黄色のジャージが与えられます。最近は日本の選手も参加しており、日本でも総集編がテレビで放送されています。
この映画は2004年のレースを勝敗よりもドイツチーム(正確にはドイツテレコムチーム)の日々を追うという切り口で映画化されていました。そもそもロードレースでは風を受けて走る先頭の選手の体力の消耗は激しく、7,8人のサポート役が順番に先導してチームのエースを守り、最後にエースがスパートして勝敗を決する、というのがレースの展開です。
勝敗に焦点を絞ったドキュメントは当然各ステージでの各チームのエースを追うので、エキサイティングなシーンはありますが実際のレースがどのように行われているかまでは分かりませんでした。この映画ではサポート役の選手一人ひとりに何が起こったのかも語られるので生の現場の感覚、まさに修羅場の感じが良く感じられました。選手は言います「最初の一週間でみんな転倒する」。パンツが裂けお尻を半分出しながら走り続ける選手が写ります。別の選手が言います「骨折したら休んだ方が直りは早いし、良いに決まっている、でもこのレースは違う、骨折しても休んではいられない」。トレーナーの老人は「2週間目までは何とかなる、勝負は3週目に入ってからだ、脱落がはじまる」選手をマッサージしながら語ります。
夏の過酷なレースですから水の補給も問題です。サポート役の一人が伴走車から水のボトルを走りながら受取りジャージの背中に入れて、チームに位置に戻り皆に配ります。その数20本近くまるで背中が曲がったように見えるくらいの量です。
この後エースが終盤で風邪をひき、チームは思いがけない苦戦に陥るのですが。勝敗よりも私の印象に残ったのは、体力のピークを過ぎたサポート役の中堅選手が語る言葉でした「練習は一生懸命やる、でもそれでも届かない所はあるのさ。アームストロング(個人総合優勝者)やウルリッヒ(山岳ステージ優勝者)のようなわけにはいかない。彼らは違うのさ。でも僕はレースが好きだ。出来るだけ長くレースをしていたい。そしてまた来年もここに戻ってきたい。」
爽快感の残る映画でした。父が子に教える昭和史
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今年の8月ですが、「父が子に教える昭和史」という新書(740円)が文芸春秋から出版されました。副題は「あの戦争36のなせ?」となっており、本の帯には「日本はなぜ負ける戦争をしたの?」という典型的な質問が掲げられています。
内容は2003年、2004年に月刊文芸春秋に掲載されたものをまとめたものですが、教科書では教えられない数々の事件や事件の背景が、戦前・戦中篇が20テーマ、戦後篇が16テーマ、各テーマ6ページほどにまとめられています。各テーマを一人ずつ“日本を代表する知性がズバリ答える”という事で、一人の考えに毒される危険はありますが、押し並べて事実に基づいた説明がされているので、一つの見方として落ち着いて読めるように思いました。
私の印象に残ったテーマを副題と私の一言コメントと共に紹介すると、
「満州事変」日本の侵略なのか? そもそも侵略とは何か
「朝鮮統治」植民地化=悪か? 帝国主義を肯定するのではなく、歴史事実を多面的に理解するために
「日独伊三国同盟」なぜ英米を敵に? 楽観的予測の危険性
「海軍善玉説」陸軍だけが悪いのか? もともと陸軍と海軍の予算分捕り合いが戦争への道
「東条英機」日本の独裁者だったのか? 有能な官僚の典型=責任感なし
「昭和天皇」戦争責任とは何か? 立憲君主制の機能不全
「引揚げ」満州からの帰路になにが? 未帰還者の慰霊祭はないのか
「シベリア抑留」60万人抑留の真実は? 検定合格教科書の説明は3行のみ
「北方領土」無法者スターリンの暴挙は? 上坂冬子さんの明快な論調
「朝鮮戦争」金日成はなぜ仕掛けたのか? 現在を理解するためにも朝鮮戦争を知らずには済まされない
全てとは言わないまでも、半分のテーマが参考になれば740円は安いと思います。本の楽しみ
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アメリカに出張した時の楽しみの一つは本屋で面白い本を探す事でした。だいたい月曜日について金曜日に帰る出張なので休みの日はないのですが、仕事場とホテルだけでは気分も変わりません。そんな時本屋は夜遅くまで開いている所があるので、夕食の後立ち寄るのに好都合でした。
本を見るといっても、分厚い小説や新刊書(どういう訳かアメリカのこの種の本は厚い)を手に取る気にはならないので、写真や絵の多い実用書を見ることになりますが、これが面白い。
日本の実用書、How to (ハウツー)本は具体的な結果を得ようとする人を真面目な読者を対象としているようで、生真面目な本がほとんどですが、アメリカの実用書は結果を求めるというよりも、筆者が会得した事を誇らかにまとめた、というような著者は真面目だけれど、それがどうした!というような事柄で気楽に楽しむことができます。
例えば左のロープの結び方の本は、20年以上前に買ったように思いますが、日常生活で使う4,000以上の結び方から世界水準の最も役に立つ25種類を厳選した「不器用な人の結び方教本」で、写真にあるように表紙に青と赤のロープが付いていて、本の中の結び方を実地で試すことができるようになっています。
内容も図解が分かりやすく、英語を読まなくても分かるくらいです。確かにテントの支柱の固定や、靴紐の縛り方、ロープのつなげて長くする結び方、車の荷台に荷物を固定する結び方、など実用的なものから出来たら鼻高々という結び方まで、見ているだけで楽しくなります。
日本ではほぼ規格通りのサイズや紙質の本しか本屋には並びませんが、アメリカでは規格外のサイズの本(摩天楼を扱った本は縦42cm、横20cmでした)や紙質の変わったもの、例に挙げたおまけが付いているような本まで、個性豊かな本をよく見かけます。
また再販制度ではないので、新刊書が半年もすると安売りされます。安売りでも売れ残ると半値以下になるので、個性的な本も何とか売りつくせるのでしょう。私は安売りコーナーを真っ先に物色し、掘り出し物を見つけた時は帰りの荷物が重くなるのも忘れて買いこんでしまいます。
最近、本はネットで買う事が多くなりましたが、思いがけない本を見つける喜びは本屋でしか味わえません。今年は規格外の野菜が見直されましたが、日本でも敢えて規格外の本を作る余裕ができて、本屋でそれらを見かけるようになると、楽しみも増えるのではないかと思います。
CBSドキュメント
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20年近く視ているテレビ番組にTBSが木曜午前2:00頃から放送している“CBSドキュメント”という番組があります。アメリカのCBS放送の長寿ドキュメンタリー番組(日本語字幕または吹き替えが付いています)を音楽評論家のピーター・バラカンさんとTBSアナウンサーの吉川美代子さんが解説してくれます。
番組は殺人事件の真相、政治家を含む有名人へのインタビュー、世界の出来事、脳にまつわる新事実などのテーマを15分ないしそれをつなげた30分、時によって45分で紹介します。アメリカの番組なのでキャスターの質問も直接的で、時には相手が怒りだしてしまうような辛らつな質問もあります。
大きなテーマのうち、“殺人事件の真相”はレイプ事件にしても地方都市の利権に絡んだ事件にしても、まるで小説のような波乱にとんだ話が多く、「おもしろい」と言ってはいけないのでしょうが、人の人生を考えてしまいます。
ちょっと特殊なテーマとしては“脳にまつわる新事実”というのがあります。これはアメリカ人が脳のコントロールに関心があるからなのでしょうか、例えば膨大な数字を暗記してしまうようなサバン症候群の人の生活を紹介するとか、言葉をしゃべらない自閉症の子供が実は筆談では素晴らしいコミュニケーション力を持っているとか、先入観をひっくり返すような事実が紹介されます。
どのテーマも丹念な取材が感じられ、報道の層の厚さを感じます。CBSは民放ですが、このような報道番組を長年制作している事に、そしてCBSにこのような報道番組の製作を可能にさせているアメリカの視聴者を尊敬せざるを得ません。
日本では視聴率が低いためか深夜の放送となり、毎回録画してみています。また残念ながら関東地方のみのローカル放送のようです。質の高い報道番組を日本中で視聴できるようにするためには、地方はNHKが放送する、というような手もあるのではないでしょうか。
旧小笠原伯爵邸
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伯爵邸でスペイン料理を、という誘いに乗って江戸時代の小倉城主、礼法で有名な小笠原家の下屋敷跡地に昭和2年に小笠原長幹伯爵が立てたスペイン風洋館に行ってきました。
場所は新宿区の東、早稲田と市ヶ谷の中間、都営地下鉄の牛込河田駅の隣です。あたりは都内の中心とはいえ道路は狭く、住宅やマンションが密集しているのですが、洋館は緑に囲まれ別世界の佇まいです。敷地は庭園も含め1,000坪ですが、下屋敷の敷地は2万坪あったそうです。
設計はジョサイヤ・コンドル(三菱財閥岩崎久彌邸等)門下生曾禰根達蔵との事で、岩崎邸ほどではないものの十分に精を尽くした内外装でした。しかし建物の運命はだいぶ違い米軍の接収解除後に東京都の中央児童相談所として使用されたものの、その後用途が無く、一時は取り壊しも検討されたそうです。
確かに建物は日々手入れしないと、いたんでしまい修復には多大な費用がかかります。行政予算は新築にはついても保守には付きにくいので、大きな会社の所有でない限り古い建物は取り壊されてしまうのが運命でしょう。そんな中に合って小笠原伯爵邸は駅に隣接しているという好立地もあり、レストランを経営する会社が貸し出しを受け修復工事、内装・家具・什器を整え直して、2002年にオープンしたそうです。
最近近代の建物の保存が話題になりますが、公費で図書館や美術館ばかりに改装するわけにもいかないので、このような民間活力を使ったレストランなどへの利用は新しい取り組みとし有効なのではないでしょうか。
葡萄棚をモチーフにした玄関のひさしは手が込んでいて、伯爵家を訪れた客がまず驚き喜んだ事と思います。そして往時開かれただろう晩さん会を思いながら、おいしく食事をとるのは豊かな時間でした。
水の中を飛ぶペンギン
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旭川の旭山動物園に行ってきました。
動物園に行ったのは20年ぶりぐらいかもしれません。月間入場者が上野動物園を抜いたこともあるくらい人気の動物園だという事で混雑を心配したのですが、平日の午前中だったためか大きな混雑には会いませんでした。
旭山動物園の人気はいろいろなマスコミに取り上げられたこともあるのでしょうが、やはり動物の行動や生活をそのまま見せる「行動展示」や異なる動物を同じ飼育室で見せる「混合展示」などの展示方式がウケているのでしょう。何かのテレビ番組で飼育員の人が「芸はさせません」と言っているのを見ましたが、動物のありのままの姿、行動を見せようという努力が感じられます。
例えば私の記憶では動物園のペンギンは遠くを見つめじっと佇んでいるのが通り相場ですが、旭山動物園のペンギンは活発です。ペンギンの飼育室にはプールの中に水中トンネルがあるので、我々は水中の中のペンギンの行動を見る事ができるのですが、ペンギンも比較的広いプールがあるせいか水中を飛ぶように泳いでいます。そんなペンギンを見ていると、空気と海水の違いはあれど、やはりペンギンは鳥なんだと感じます。
また、白クマの飼育室では深いプール(前面がガラスになっていて水中の具合も同時に見る事が出来る)があるので白クマ同士がプールの中で取っ組み合いをしている様子をつぶさに見る事ができました。
このように動物園自体はそれほど広くないのですが、動物の行動を見ていると、意外に早く時間が過ぎてしまいます。もちろん動物の特性や習性を利用した“芸”を見るのも意味はあるでしょうが、動物園では動物たちに人間に見せるための行動を取らせるのでは無く、同じ地球に住む隣人として(人間とは関係のない)動物たち自身の行動や生活を在りのままに観察し、彼らを独自の生き物として感じられれば良いのではないでしょうか。
アイヌの神
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北海道東南の十勝平野を見下ろす狩勝峠の中腹に、野生に近い状態のヒグマを観察できるベア・マウンテンがあります。
ヒグマは日本に棲息する陸上動物では最大の大きさで、(本州に住むのはツキノワグマ)アイヌの人たちには肉や毛皮を授けてくれる神として畏敬されているそうです。しかし今では動物園の狭い檻の中をノシノシと行ったり来たり、忙しなく歩くクマしか見る事がありません。これは常動行動と言って、同じ動作を続ける一種の神経症だそうです。この常動行動をしているクマと「アイヌの神」のイメージは結び付きません。
北海道には登別に50年以上の歴史のある「クマ牧場」という、高い塀で囲まれた敷地内にたくさんのクマを飼育して、観察室からクマを見たり、窓越しに餌を与える事が出来る施設があり、クマのいろいろな仕草を見る事が出来ます。常動行動は少ないようですが、人間に飼いならされたクマも「アイヌの神」とは違うように思います。
ベア・マウンテンは「クマ牧場」の経験を生かして、ヒグマたちを東京ドームの3倍強の広さに敷地に放し、人間はバスの乗るか、敷地中央まで延びた遊歩道を歩きながら、敷地内を歩き回るクマを探して観察できるようになっています。また遊歩道の途中にはガラス越しにクマを見る事の出来る観察ポイントもあります。(左の写真は観察ポイントから撮ったものです)
飼育方針は「出来るだけ野生に」だそうで、敷地内の草木類、キノコ、果実を食べるように、(ヒグマは元来植物中心の雑食性、春はフキやクローバーなどを食べる)出来るだけ餌をやらないようにしているそうです。見物客が餌をやることもできません。
もちろん、「クマ牧場」から連れてきたクマたちは何を食べたら良いのか学習していないので、まだ穀物を丸薬状にした餌を与えてはいますが、わざと熊笹の中とか、石畳の隙間など食べにくい場所に巻いて、自然の草木類を食べるのと同じ努力をさせるようにしているそうです。
この食べる努力に忙しいのか「常動行動」を見せるクマはいません。クマたちは広い敷地内を自分の好みで動き回り、食べ物を探したり、木に背中をこすりつけてマーキングをしたり、水浴びしたり、熊笹の中に隠れて涼んだりしています。
完全な自然ではありませんが、食べる努力をしているクマたちは、のびやかで、ヒモジイ思いもするかもしれませんが、生き生きしていて「アイヌの神」のようでした。
鉛筆ホルダー
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鉛筆を使わなくなったのはいつごろからでしょうか。
芯を削らなくても直ぐ書け、芯の無駄も少ないシャープペンシルが当たり前になってしまい、鉛筆を使おうという気になりません。
しかし鉛筆とシャープペンシルでは、今になって思うのですが、違いがあります。鉛筆を使うためには芯を削らなければなりません。ナイフで芯を削る場合の事ですが、この時意外に集中しています。鉛筆の軸の先を見つめてナイフを注意して動かすからでしょうか、他の事を考える事はできません。これがシャープペンシルで字を書く時との違いです。
鉛筆をシャープペンシルに切り替えた、1960年代中ごろに比べ今の生活が忙しないのか、字を書く始める前の芯削りという手間が意識を集中し、雑念を払うのに貴重です。いまさら全て鉛筆を使うわけにはいきませんが、個人的な日記や、考えをまとめるためのメモなどに鉛筆を使うのは良いようです。
しかしエコ時代にあってチビた鉛筆を握れないからと言って捨ててしまうのは時代錯誤でしょう。そこで文房具屋で昔ながらの鉛筆ホルダー(写真上)を手に入れました。メタルのホルダーの先を回して鉛筆を固定する物です。鉛筆を逆さまにして固定すれば芯が折れる心配もないし、機能を形にしただけの所が気に入っています。
また違ったタイプのプッシュ式ホルダー(写真下)があるのも知りました。これは軸の頭を押すと軸の先が開いて鉛筆をくわえ、頭を放して鉛筆を固定します。また軸の頭のキャップを外すと消しゴムが入っているのが実用的です。
仕事ではパソコンのキーボードが離せなくなっていますが、一方で手を、指を動かす感触を忘れないようにしたいものです。
究極のヒゲそり
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若い時から髪を短くしている私は髪形を整える必要もないので、出勤準備には時間がかからない方ですが、毎朝のヒゲそりには苦労しました。
ひげをそるようになってT字型のヒゲそり(当時はまだ1枚刃)をまず使いましたが、そり残しがあるのと、よく皮膚を引掛けて切ってしまい、Yシャツに血の斑点を付けて一日不快な思いをしました。その後2枚刃のヒゲそりも試しましたが、せわしない時に限って皮膚を切ってしまう事はなくなりませんでした。
そこで35歳頃に一大決心をして、数万円する電気シェーバーを買いました。メーカーの宣伝文句では「そり残しなし」というやつです。確かにそり残しはないし、皮膚を切って血を出すこともありません。ただし、そり残しが無いのは時間を掛けて剃るからで、ヒゲそり時間は手動のヒゲそりよりも長くなってしまいました。また念入りにそると、今度は皮膚を削って肌が荒れてしまう感じもありました。
そんな時に、義理の父が理髪店のヒゲそりで使う一枚刃の剃刀でヒゲを剃っているのを見て、「男は刃を扱えないといけない」思い直して、ヒゲそりに戻りました。一枚刃のヒゲそりも使いましたが、何しろ危ないので1年ほど使って、当時出だした4枚刃式のヒゲそりに変えました。
4枚刃式の手動ヒゲそりになって、ほとんどそり残しはなく、皮膚を切る事もなくなりましたが、新たな手間は刃と刃の間に詰まったヒゲの剃りカスを明日のヒゲそりの為にきれいに取り除く手間でした。しかしこれは刃の数が増えれば、当然出てくる問題で究極の課題のようでした。
新たな革新の見られないまま時が経ちましたが、2年ほど前に快速5枚刃と称する手動ヒゲそりを発見、購入しました。
写真のように手動なのにもかかわらず単4の乾電池を軸の中にいれ、スイッチを入れると超小型モーターによって5枚の刃が振動します。この振動がミソなのか5枚刃が良いのか、そり残しはまずありません。その上、水の中に剃刀部を浸けて、スイッチを入れれば刃が振動して、刃と刃の間のヒゲそりカスは100%洗い落とせます。ついに究極の課題もクリアされました。その上、刃の交換時期の表示機能(単に使用毎に青い表面塗料がハゲ落ちて、白い下地が出てくる)付きスムーサーなど嬉しくなるような細かい工夫がいろいろ付いていて、久々に技術進歩の有難さを感じました。これで1,600円程とは”お値打ち”だと思います。
事実と報道された事実
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麻生首相と民主党鳩山代表の党首討論が開かれました。今回は開催時間が事前に分かったのでビデオをセットして、夜討論を最初から終わりまでじっくり見る事が出来ました。その後、各局のニュースを見たのですが、時間の関係で断片的に切り出された両者の発言からの印象は、全体の討論を通しで見た印象とはだいぶ違っていて驚きました。
報道する側は限られた時間の中で要点をまとめようとするため、発言の中で分かりにくい所、意味不明な所を削除して、分かりやすい所だけを集めて報道してしまうようです。従って、発言者のボロが自動的に隠れてしまったり、分かりにくくても重要な点が報道されなかったりしてしまいます。
一夜明けて、(朝日)新聞を見てみると、発言の全文は無く、テレビ程ではないにしても一部を切り出して解説しているだけでした。米国の大統領選挙と比べて、日本の選挙制度ではどういう人が、どういう考えのもとに首相になるのか事前に分からないのが問題だ、と以前書きました。事実と報道された事実は、「盲人ゾウをなぜる」のように、たとえ中立報道であっても微妙に違います。有権者として報道解説やコメンテーターの意見をヤドカリするのではなく、事実を自分で見て、候補の素性をしっかり確認したいと思います。
という事で、ぜひ党首討論は初めから終わりまで見ましょう。その価値はあります。政府のサイトでビデオ放送していますから、今からでも遅くありません。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL
上記URLにアクセスすると「衆議院TV」というページが表示されるので、2009年5月27日に行われた会議を検索すると、外務委員会など8つの会議がリストされるので、国家基本政策委員会合同審査会をクリックすると党首討論のカットの無い全貌を見る事ができます。
事実を見れば、いろいろな人の解説を聞くまでもなく麻生首相と鳩山代表の素性の違いは分かるはずです。
演出の無い自然
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親類の案内で北海道のほぼ真ん中、芦別市新城町にある黄金水松(コガネミズマツ)を見てきました。
この木は北海道指定文化財で推定樹齢1,700年のイチイ(オンコ)の木で、直径2mはある大木です。高さは、雷で木の途中から折れてしまったのか、20mほどであまり高くありません。
イチイの木としては全国8位の大きさだそうですが、特別な来歴があるはけではないので、訪れる人も僅かなようです。しかし古墳時代のころから1,700年この場所で生き続けている木は、ある時雷に打たれ幹が真っ二つになってしまったのか、冬の雪で何度も枝を折ってしまったのか、その姿全体で自分の歴史を語っているようでした。
この木の近く一帯にはエゾエンゴサクが群棲していました。昨年放送された『風のガーデン』の花言葉では、「妖精たちの秘密の舞踏会」です。まさに秘密の舞踏会には打って付けの場所かもしれません。
そして林を抜けたところには、濃い緑のエゾ松と一体化したようなコブシの木がありました。演出の無い自然は見ていて飽きません。
「何なにの世界一」とか、比較で物を見てしまいがちですが、自然は番付表のようなところから選ぶのでは無く、巡り合ったものを楽しむだけで良いように思います。
北海道の桜
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「どこまで行っても千円-経済対策」とは相性が悪いのか、先日北海道に行ってきたのですが、羽田に停めた車のETCカードを抜き忘れ、レンタカーでの道内移動では経済対策の恩恵を受けられませんでした。とは言っても、さすがに雪は無く、一般道を走っても十分スピードは出るのでこの時期、何の問題もありませんでした。かえって雪解けとともに一気に始まる草木の芽吹き、花々の開花を堪能できました。
今年は特に桜の開花が少し早いとの事で、コブシの開花と重なり、一段と山々の景色が賑やかでした。北海道の桜は、もちろん人に植えられた桜もあるでしょうが、山の中の桜は自生のものと思われ、山肌にポツ、ポツと他の木々と混じって生えているのも、東京で見慣れた一面桜の光景とは異なります。また見慣れた大島桜やしだれ桜など、開花と共に花弁を散らす桜とは違い、山桜や千島桜なのではでな花吹雪にならない分、少し長く咲いてくれます。
このように桜自体も違うのですが、一緒に咲いているダンコウバイやアブラチャンなどのクスノキ系の木の黄色い花、白いコブシの花、そしてシラカバやヤナギなどの新芽の明るい黄緑、さらにオンコやカラマツなどの常緑樹の濃い緑、それらの色の組み合わせは印象派のスラーの絵のように鮮やかで、長い雪一色の景色との対比で一層春の訪れを感じさせてくれます。
見事に演出された都会の桜吹雪はもちろん好きですが、山の中で他の木々に負けないよう咲く桜は、時にケナゲで、時に必死で違った趣でした。多分毎年飽きの来ない景色なのでしょう。
夜景 3
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飛行機からの夜景は、なんと言っても鳥瞰的な広がりが印象に残ります。
<マンハッタン>
日本からニューヨークへの便はほとんどマンハッタンから車で40分以上離れたJ・F・ケネディー空港へ着くので、飛行機からマンハッタンの夜景を見る事はありません。しかし、一度シカゴ経由でニューヨークへ向かった時にはマンハッタンに近いラガーディア空港に着くことになりました。
シカゴを昼過ぎに出発した飛行機は時差もあるので夕方ニューヨークに着きましたが、西からマンハッタン島を横切りイーストリバー上空を北上してラガーディア空港に向けて高度を下げていったので、マンハッタン島南端のワールドトレードセンター(2001年以前の話です)から、中心部のエンパイアステートビル、そして西のクライスラービルまではっきりと見る事が出来ました。
その間、眼下にビル群の夜景を堪能し、ニューヨーク観光が事前に済ませることができました。米国内の国内便を使ってラガーディア空港に入れば、天候が良ければ最高の夜景を見る事が出来ると思います。
<ディズニーランド>
アメリカでは自家用飛行機が日常的です。少し大きな町には必ず自家用飛行機用の飛行場があります。そこにはだいたい飛行学校があって一般の人が教習を受けに来ますし、(飛行免許のある人には)レンタカーのようにセスナ等を時間貸ししてくらます。私も何度かロス近郊の飛行学校に通った事があるのですが、20分ほど教官から講義を受け、1時間ぐらい飛行教習を受けます。
一度、内陸側で訓練した帰り、ディズニーランド上空を飛んだ事があります。夕暮れ時でしたがシンデレラ城を中心にした夜景を見下ろしたのは思い出です。2001年9月11日以降、ディズニーランドなど多くの人が集まる場所の上空は飛行禁止になったので、これは本当に二度とない思い出になってしまいました。
Skype(スカイプ)
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40歳を過ぎてから外資の会社に転職し、困った事は何と言っても英語で業務上の打ち合わせをしなければいけない事でした。メールは要領を工夫すれば何とかなりましたが、電話は相手の話が聞き取れなければどうにもなりませんし、いつ掛かってくるかもわからないので心の準備もできません。とくに初めての相手だと「間」が分からないので沈黙が続いたり、言葉がぶつかり合ったりでずいぶん苦労しました。
今でも外国語で、相手の見えない電話で話すのはやはり苦手です。
しかし、4年ほど前英国本社の会社に移った時に良いものを教えてもらいました。Skype(スカイプ)という無料のインターネット電話サービスです。これはヨーロッパで5、6年前に始まったサービスらしいのですが、無料で音声・ビデオ通信ができます。音声は固定電話並みの高品位の安定した音質ですし、ビデオカメラをつなげれば、ビデオ画像を通して相手の状況を見ながら話せるので、通常電話の場合の「間」の不安がありません。最近のバージョンでは複数人の通話もできるので小規模の電話会議さえ出来てしまいます。
もちろんパソコンは必要ですが、ソフトはSkypeのホームページ(http://www.skype.com/intl/ja/)からダウンロードすれば無料です。ヘッドホンとビデオカメラはパソコンショップで、数千円で手に入ります。ホームページも日本語化されているので、説明を順に読んで行けば一般的なパソコン知識でインストールし、使い始めることができます。
このところ突然、豚インフルエンザが話題になり、政府の説明はつまるところ「落ち着いて、慎重に行動してほしい。」としか聞こえてこず、頼りになりません。もし国内で感染が広がるような場合には、Skypeのような無料ビデオ電話を使って仕事する事を考えた方が良いのではないかと思います。「どこまで行っても1000円政策」のお陰で、今年のゴールデンウイークは高速度道路は長距離渋滞です。渋滞を避けて、この機会にSkypeを試してはどうでしょうか。
夜景 2
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勤めていた会社の技術部門がロサンジェルスの南、サイプレスという所にあったので、一時期よく顧客を案内して出張していました。その関係でいくつか印象に残る夜景を見る事が出来ました。
<巨大な夜景>
ロサンジェルスの北、小高い丘の南斜面に建つグリフィス天文台。夜景を見るので、暗くなってから行くわけですが、天文台に続く道の入り口が見つからず住宅街をよく行ったり来たりしたものでした。道の入り口にある目印の大きな木が見つかればしめたもの、道なりに道を登ればほどなく天文台です。
天文台からは南側180度巨大なロスの町が一杯に広がります。アメリカの町は基本的には碁盤の目なので、ロスも整然とした、しかし地平線まで眩しいような夜景が続くのが印象に残ります。
<動く夜景>
サイプレス周辺から南は戦後のビジネス地区ですが、さらに海岸線を南に下るとニューポートビーチ、ラグナビーチとビーチが続き、その内陸の山腹には新興の高級住宅地が広がっています。
このビジネス地区と高級住宅地を通って、さらに南のサンディエゴ・ハイウエーを結ぶサン・ジャクイン・ヒル・コリドアというアメリカでは珍しい有料道路があります。この道路は山の尾根伝いに作られていて、南から来るとニューポートビーチの手前で右にカーブを切りながら丘を下りてゆきます。
ラグナビーチで特有のピンクの夕暮れを見て、夕食のあと、この有料道路使ってロスに戻ろうとすると、しばらくして道路が下り坂になり、それまでの星空と反対にニューポートビーチから北のビジネス街の夜景が下から上がるように見えてきます。そして道はカーブしているので、夜景は右下からゆっくり動いて近づいてくるのです。
レンタカーを運転しながらで写真が撮れず、写真が無いのが残念ですが、仕事で疲れた時に元気を取り戻せる夜景でした。
動く夜景の事を書いていて、空からの夜景を思い出しました。
それについては次回お話しましょう。
夜景 1
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地球温暖化の問題もあり、夜間の過度な照明は慎まなければならないのかも知れませんが、夜の闇に光る家々の明かりは人をホッとさせ、穏やかに元気づけてくれるように思います。
そんな訳で私は夜景を見るのが好きですが、残念ながら思い出に残る夜景はそんなに多くありません。その内のいくつかをご紹介しましょう。
<新宿西口より西を見る>
30年ほど前になりますが、京王プラザホテルの最上階から西側(山の手線の外側)を見る事がありました。新宿は新宿御苑付近の新宿3丁目で甲州街道と青梅街道が分岐して、そこから放射状に西に向かうので街並みもそれに倣っているようで、放射の中心に位置する京王ブラザから見ると街の明かりが左右に広がって印象的でした。
もちろん、現在では目の前に東京都庁や多くの高層ビルが立ち並んでいるので同じ夜景が見えるとは限らないでしょう。「高層ビルの曙」などと言われた時代の話です。
<函館山から函館市内を見る>
ここは観光名所ですから、説明は必要ないかもしれませんが、地図でも分かるように函館の町は津軽海峡に突き出したキノコのような形をしていますが、キノコの傘の部分の中心が函館山で、柄の部分が市街地になります。従って函館山から町を見下ろすと海の漆黒の中に密集した街の明かりがブローチのように浮かび、特徴的な夜景になっています。
横浜の開港150年が話題ですが、開港という点では函館も開港150年ですから、昔と同じように街の明りが輝いていることを期待します。
次回はアメリカで見た夜景を紹介します。
エルメス
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銀座5丁目のエルメス銀座店(左写真)5階にあるミュージアムを偶然訪れました。ガラスブロックに包まれた特徴のあるビルではあれど、ビル自体はそれほど大きくありません。
受付で「荷物をお預かりします」と言われ、それほど時間もかからないだろうと思いつつ、せっかくだからと手荷物を預けました。
「オーディオガイドをご利用になりますか?」
ガイドを聞くほどいろいろな展示があるのだろうかと、思いつつ折角だからと丸みを帯びた小ぶりの白い携帯オーディオを借りて、首からかけようとすると、
「展示効果の為に、白衣を着用いただくようお勧めしています」
白衣を着てオーディオガイド器を首から下げヘッドホンをした姿をおかしく思いつつ、何事も経験、白衣を借りました。なんとその白衣は大学の実験の時に着た薄っぺらな白衣と違い、白いコートと言うべきもので、背中には大きなエルメスのロゴが刺しゅうされています。“これは何か違う”と思いながら、入口をはいると確かにミュージアムは外壁のガラスブロックと調和する白で統一され、白衣を着る意味が理解できました。“これがエルメスのこだわりなんだ!”
エルメスは19世紀初頭に馬具の製作を始め、ナポレオン3世やロシア皇帝などを顧客として発展したそうで、数は多くありませんがその当時の工芸品のような器具や装飾品が展示されています。
驚きは20世紀に入って、馬車が交通機関として衰退し、自動車が登場してきたときに、エルメス3代目のエミールが30歳前半にもかかわらず人の移動手段の変化を予測し馬具の皮革加工の技術を使って、丈夫で質の良い鞄の製作を始め、手袋や財布などに発展させたという所です。
多分、自動車の普及とともに衰退した馬具工房は数多かったでしょう。その中で新しい分野を開拓し、自分の世界を築いたエルメスの企業家精神、そして自社のブランドを確立するための徹底したモノ作りには感心させられました。そしてこのミュージアム、この白衣もそのブランド強化の手段なのだと気付きつつ、脱いだ白衣を受付に返しました。
ミュージアムは土曜日のみ公開だそうなので、一度訪れるのも一興と思います。
名古屋名物
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名古屋に出張すると楽しみにしているものがあります。
味噌煮込みうどん
櫃(ひつ)まぶし
あんかけスパ[ゲティ―]
これに小倉トーストを加え、名古屋以外ではあまりお目にかかれない食べ物でしょう。私は関東育ちですが、関東、関西の味付けの違いにこだわらず、それぞれの土地の名物料理を試すほうです。しかし、最初に小倉トーストを薦められた時には驚きましたし、食べてみてその取り合わせの妙に嬉しくなりました。
小倉トーストは厚切の食パンをトーストし、バターを軽く塗って、粒あんをジャムのようにトーストの上に塗ったもので、コーヒーなどのとセットで朝食メニューとして喫茶店で出されています。もちろん最近の全国チェーンの喫茶店にはメニューに出ていない、名古屋のご当地メニューだと思います。バターと小倉あんという、思ってもみない組み合わせが、小倉あんの甘味をバターが西洋菓子風の甘味にするようで、意表を突かれた感じが気に入りました。
名古屋は戦国時代以前から交易の中心であり、いろいろな人が集まり、いろいろな事を試してみる気風がある、と地元出身の知り合いが言っていました。この創意工夫精神が名古屋の製造業を発展させたり、ご当地メニューを生み出したりするのでしょう。
さて今回の出張では味噌煮込みうどんを食べる事にしました。「ガムのような麺のコシが嫌だ」という人もいますが、私はそのコシも濃い味噌汁の味も好きです。もちろん店によってうどんも味噌汁の味も違いますし、煮込みなべの形も違います。私の行きつけのお店は鍋のふたに穴がありません。なぜなら鍋のふたを小皿代わりに使ってうどんと味噌汁を小分けに取り分けて、食べられるようになっていからです。夏の暑い名古屋で、夏でも熱い煮込みうどんをフーフーしながら食べる工夫ではないでしょうか。
このお店では味噌汁のハネが服につかないよう、鉄板焼きレストランのような前掛けが出され、来店時の温かいおしぼりとは別に食後に冷たいおしぼりが出されていましたが、原価高騰の中で価格据え置きのため最近このサービスは無くなってしまいました。このサービスが無くなってしまったのは残念ですが、全国展開の喫茶店やレストランが増える中で地元のお店にはご当地メニュー、ご当地の味を守って頑張ってほしいので、出張の時には極力地元のお店に立ち寄るようにしています。
タングロン
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私用で北海道芦別市にあるスターライトホテルに泊まった時に、売店で見慣れない飲料を発見しました。タングロンという名前も興味をそそりますが、パッケージの「昆布エキス飲料」という説明が気になります。とろろ昆布のお吸い物は好きな方ですが、昆布と飲料の語感は結び付きません。「何か特殊なもの」を予感させます。値段も一つ60円余りと手ごろなので温泉の湯あがりにまずは一本買ってみました。
原材料表示には昆布酵素エキス、リンゴ果汁などとなっています。昆布とリンゴ、ますます独創的な取り合わせに驚きます。しかし意外にも付属のストローで飲んでみると、スッキリ、さわやか、昆布のヌメリ感はなく、どちらかと言えば酸味のきいたリンゴジュースという感じで、量も手ごろで一息入れるのにはちょうど良い感じです。
あとからネットで確認してみると、タングロンは北海道大学水産学部の近江彦栄(オオミ ヒコエイ)先生が開発した「リンゴ果汁」と「昆布エキス」と「天然酵素」を親和培養した自然の保健飲料、だとの事で、保育園、小中学校の学校給食、そしてなんと自衛隊給食として採用されているようなのです。
最近のリンゴジュースは甘みが喉に残るような気がしてあまり飲まないのですが、タングロンの味は子供の時に、風邪をひくと母が林檎を擂ってガーゼで絞ってくれた(当時はまだジューサー等はなかった、残念ながら実家にはミキサーさえなかった)、酸っぱ味の残ったリンゴ果汁の味がしてお勧めです。まだ昆布エキスの効果は実感できませんが、長年飲んでいた人は80歳を過ぎても黒髪が残っていたと言いますので、黒髪維持の効果もあるかもしれません。
製造元:日本酵素産業株式会社 芦別市上芦別町350
タングロンでGoogleと、いくつかのネット通販サイトが見つかります。
平和祈念展示資料館
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平和祈念展示資料館に行ってきました。4、5年前から時々地下鉄の車内広告で水木しげるの氏の絵による資料館の案内は見て、気にはなっていたのですが、展示目的が「今次の大戦における戦争犠牲を明記し、関係者の労苦について国民の理解を深める」ということで、何か政治思想的な背景もあるような気がして、なかなか訪れる事ができませんでした。
資料館は昭和63年制定の「平和祈念事業特別基金等に関する法律」により設立された平和祈念事業特別基金によって常設の展示場として設立されたとの事で、現在は独立行政法人が運営主体になっています。展示は関係者を恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者の3つに分け、それぞれの方々の労苦を忠実に語り、展示するという姿勢でした。
今回初めて知ったのですが、恩給欠格者とは旧軍人・軍属の内在職期間が定められた年限(兵、下士官12年)に達しない等の理由で恩給や年金を受けられない人たちの事だそうです。国のため、家族を残し、命を賭けて戦務に従事した人々の労苦は在職期間の長さで区分けされるものなのでしょうか。国が決める制度の理不尽さを改めて感じました。
また強制収容された約60万人のうち約1割の6万人近くが亡くなったそうですが、単なる数字ではなく細かい字で記録された20冊近いバインダーの死亡者リストを手に取ると、亡くなられた方々の無念さを感じられる気がしました。その他展示場の広さはさほど広くはありませんが、当時の写真や日誌、遺書、遺品など一つ一つ足を止めざるを得ないものがありました。
「戦争反対」を叫ぶためにも我々の親、祖父の時代の戦争がどの様なものであったかを、たとえ展示であれ自分の目で確認しておく必要があるように思います。実際にシベリアに抑留されていたという80歳を越えた方(当時は20歳後半だったそうです)がボランティア説明員をされていましたが、これらの方々の体験を聞き、記録できるのもあと限られた年月だと思います。戦争反対を叫ぶためにも、戦争における事実を知る必要があると思うのです。資料館は西新宿の新宿住友ビル48階にあります。
歴史教育
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経済混迷の陰に隠れ、目立ちませんが中東のパレスチナ自治区ガザの復興がイスラエル軍の停戦後も一向に進まないようです。と言っても、イスラエル、パレスチナというだけで日本人には縁遠く、何がどうなって今に至っているのかが分かりません。最近の事は知りませんが、私が受けた歴史教育は年号教育でした。事件が起こった年号は教えられるのですが、事件と事件の関係、何でその事件が起こったのかを教えられた記憶がありません。
「戦争は反対です」と多分ほとんどの人が言うでしょう。しかし何で日本が太平洋戦争に突入し、敗戦を迎え、戦後の混乱の中でどのような事件が起こったか、説明できる人は少ないでしょう。しかし事件がどのように組み合わさって戦争が起き、それがどのような事件に繋がっていったのかを知らずに「戦争反対」を叫んでも、戦争抑止力としては弱いでしょう。そのような意味から太平洋戦争から現在にいたる事件のつながりについては関心があり、自分なりに書物を乱読しているのですが、パレスチナ問題となると旧約聖書、史実らしい事件に限ってもBC19世紀頃まで遡らなければならないので、とても自分で勉強する気になりません。
ところがパレスチナ問題について非常に良い本を発見しました。題名も正に『まんが パレスチナ問題』(山井教雄著 談社現代新書740円)と言います。山井氏はテレビCFの企画、制作をへて渡仏、教育ビデオの制作、日本語教師を経て、帰国後新聞・雑誌に漫画を連載、91年に文春漫画賞を受賞する等、非常に多彩な方のようです。そのせいかこの本(“まんが”というよりイラストで解説する、といった体裁です。)が実に分かりやすい、4,000年間の事件の繋がりを半日で教えてくれます。なぜモーゼは紅海を割って道を作る必要があったのか、アレキサンダー大王とクレオパトラの関係、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の違いと類似点、十字軍って何?といった歴史クイズのネタになりそうな何となく知っていて、実は何も知らない事を順に教わります。
山井氏の執筆動機は「世界各地で民族主義は過激なテロリスト・グループと結び、国際的な大規模テロを起こしています。この民族主義とテロを結び付ける、一番の病根がパレスチナにあり、(中略)この複雑で長い紛争を、なるべく分かりやすいように、やさしく、丁寧に解説して、少しでも理解していただければ」という事だそうです。ここまでの問題意識で出版された本に出会えたので、40年程前の不問な年号歴史教育に使った時間を取り戻した気分になりました。是非一度立ち読みして、内容を確かめていただくと良いのではないでしょうか。
国立博物館
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知り合いの薦めで国立博物館に行ってきました。上野の近くの中学校に通ったため上野の森の博物館、美術館は課外授業でよく通ったものですが、社会人になって30年近く足が遠のいていました。国立博物館も現皇太子殿下のご成婚記念に平成館ができ全体的にもリニューアルされたように思います。当日は雨で博物館内の庭園を散策する事は断念しましたが、特別展を見た後に常設展示(平常展と言うそうです)を見ました。実は知り合いは平常展の方を薦めていたのです。
展示はアメリカのメトロポリタン・ミュージアムの規模には至りませんが、また構成が分かりにくいように思いましたが、個々の展示品の質は期待以上でした。特に平成館の中の日本の古代、縄文から弥生、古墳時代あたりまでの展示は印象に残りました。まず私は土器、埴輪など教科書の写真でしか見た事がなかったので、大きさはせいぜい20-30センチぐらいの玩具のようなのものだろうと思っていたのですが、実際に見てみると縄文時代の土偶や火焔土器は美術教科書の写真で見るよりボリューム感があり、あの岡本太郎がインスピレーションを得たという事も納得できるような斬新な発想を感じました。現代人も1万年近く前の縄文人も人間としては大差ないのかも知れません。また弥生時代の土器や埴輪は大きく精巧な作りで、埴輪の中には表情も明るく「口角を上げて」笑っているものもありました。現代が必ずしも弥生時代よりも幸福だとは限らないのでしょう。
明るい話題がなく、元気の出ない日本ですが、祖先が作ったこれらの品々を通して、その生活を思うと何千年も前に我々の祖先は元気で、明るく暮らしていたのだろうと想像し、「日本人も捨てたものではない」と少し誇らしく、元気が出てくるように感じました。
なお平成館にはラウンジがあり、日本の博物館にはめずらしく中で持ち込んだお弁当を食べる事ができました。ゆっくり展示品を見て休憩をとれる館内の作りにも、「日本も進歩したじゃないか」と30年の経過を納得したのものでした。