山茶花(サザンカ)

社会問題

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2週間ほど前に心地よい香りを漂わせた金木犀(キンモクセイ)の花が散って、今度は山茶花(サザンカ)が咲きました。庭と呼べないような狭い玄関脇に植えてあるヒョロヒョロとした木なので満開というには恥ずかしいのですが、こんなに花が咲くとは思いませんでした。家人曰く「いつも沢山咲いている、と言っても気付かないだけ」だそうです。確かにドタバタとした出勤時や暗くなってからの帰宅では気付かなかったのでしょう

だいぶ前の話ですが、倉本聰脚本の「君は海を見たか」というテレビドラマを思い出します。私が見たのはフジテレビで萩原健一が主人公の猛烈サラリーマンを演じたドラマです。(それ以前に映画とテレビドラマがある)詳しいストーリーは忘れましたが、家族との時間を顧みず使命感に燃えて働き続けている父親。突然小学生の息子が不治の病になった事を知った翌日、ふと線路わきに咲いたタンポポが通勤電車の窓から目に入ります。毎日通っている通勤電車の、毎日見ているはずの風景なのに、そこにタンポポがある事さえ気付いていなかった。時間が取り返せなくなった時になって、自ら失った時間に気付く、という身につまされるドラマでしたが。萩原健一ののめり込んだ演技もあって、今でも思い出します。彼も“事件”を起こさなければ、もっと良い仕事ができたでしょうに、おしかった。

と言って、現代は寿命も延びまだまだ元気で働けるので、花の咲くのも楽しみながら、仕事が出来ると良いと思います。萩原健一もまだ59歳のはずですし、期待しましょう。

政府(前政権は、というべきでしょうか)は啓もうキャンペーンで問題が解決すると思っていたのか、独立行政法人:高齢者・障害者雇用支援機構が菅原文太主演で行っているテレビコマーシャル(だけでなく山手線にも車内広告)によれば、10月は「高年齢者雇用支援月間」なのだそうです。中年まで仕事一筋、ふと気が付くとやることがない、という生き方、社会の仕組みを変える努力が必要なのでしょう。

書店で本を探す

体験レポート

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最近は本を買うと言っても、ネットなら夜でも注文できて、家まで届くので便利です。一方「こんな本がほしいのだけれど」といった場合、類似検索でキーワードから本の題名を見つけることが出来ても、やはり内容を確認してから買いたいと思うので、書店に行かなければなりません

私は丸の内の丸善に行く事にしています。ここの書籍検索機が使い勝手が良くてお気に入りです。例えは「統計学」を使った「品質管理」に関する本を探したい時には、検索機で「統計学」と入れると750種ぐらいの本がリストされました。これではさすがに見きれないので「品質管理」に変えて検索すると200種ぐらいがリストされ、統計学とも関係のありそうな「品質管理のための統計手法」という本を見つけることができます。

しかし、なんと言っても本のあり場所が絵で示されるのが有り難い1)まず何階に在るか(丸善丸の内本店は丸の内オアゾというビルの1階から4階が店舗になっている)、そして2)そのフロアーのどの辺のコーナーに在るかが平面図上に星印で示されます。さらにその下に3)そのコーナーの中で本のある本棚が黒く示され、4)その本棚のどのあたりにあるかが5ケタの数字で示されます。これを頼りにすれば一直線に目的の本にたどりつけます。

以前、目的の本の在りかが分からなかった時の悩みは、お店の人に聞いて取ってもらうと、そのままレジに行かなければいけないような負い目を感じた事です。自分で目的の本に辿り着ければ、じっくり内容を確認する事が出来ますし、内容が期待外れであればそのまま本を棚に戻すことができます

この他、丸善にはいくつかテーブルとイスが用意されていて、じっくり本の内容を確認する事も出来ます。朝も900からやっているので、仕事の時間調整に立ち寄るのにも便利です。「本を読まなくなっている」と言われて久しいですが、丸善のような書店の工夫と努力も必要でしょう。本当の書店の楽しみは、本を手に取り、面白い本に巡り合う事なのですから。

電気自動車普及の為に

提案!

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平塚市美術館で開催中の「カーデザインの歴史」展1129日まで)に行ってきました。日産自動車の協力で、日産社内で自動車のデザインがどのように変化してきたかを、当時のスケッチや実物模型を使って説明している意欲的な展示会でした。

いろいろ懐かしい車がありましたが、昭和39(1961)中学の国語のS先生の愛車であったダットサン210のスケッチや写真もありました。今から見れば古風ですが、バランスのとれた姿にいだいた“あこがれ”を思いだしました

さて、今週から2年に1度の東京モーターショーです。市場の変化で、規模的には寂しいようです。メーカー各社は「電気自動車普及元年」と言われる2010年に向けてハイブリッドや電気自動車の展示に力を入れています。しかし電気自動車の普及の為には50年前自動車に持った“あこがれ”と同じような期待を利用者が持てるような「何か」が必要なのではないでしょうか。

世界トップクラスの自動車生産国になった日本の自動車メーカーは事業の継続の為にガソリン自動車の置き換えになる電気自動車を開発しています。それは輸出の為に必要な事でしょう、しかし日本国内を考えた時に電気自動車に対する期待はガソリン車の置き換えよりも、まずは高齢者でも安全に運転できる街乗りの車ではないでしょうか。買い物だとか、ちょっと人に会いに出かける車。高速道路にも乗り入れない。夫婦二人か一人で乗る、足代わりの車、ただし価格も維持費も極端に安い車

電気自動車は本来、ガソリン車に比べ部品点数がすくなく、熱の発生もないので、安価な部材が使え、安くできるはずなのに、運行距離を伸ばすためにバッテリーをたくさん積んだり、ハイブリッドにする等のため、価格はガソリン車以上です。これではエコカー減税を続けなければ電気自動車は売れないでしょう。

一方、超小型の電気自動車専用規格を、街乗り限定で安全基準も簡素化して決めれば、格安の電気自動車が作れるはすです。そしてコンビニやスーパーの駐車場に充電設備を国が設置し、極小電気自動車だけに特定の地域の路上駐車を許可すれば、高齢者でも気軽に出歩くことが出来るでしょう。高齢者市場に焦点を当てた電気自動車を作れば、それは間違いなく新市場になるはずです。

銀座三原橋地下街

お勧め

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バブル崩壊後の10年でも、東京では休みなく街の再開発がおこなわれ、古い建物が小奇麗なビルに代わってゆきます。新しビルはきれいで、目新しく興味を引きますが、昔ながらの街の一画が、こういう世の中であればこそ得難いもののように思います

そのような気持ちから時々訪ねる一画の一つが銀座三原橋地下街です。三原橋と言っても銀座の何処?という人も多いと思いますが、銀座4丁目から晴海通りを歌舞伎座方向に向かって150mmほど行った道路が盛り上がっている地帯の下が地下街になっているのです。この地下街は歴史をさかのぼれば、戦争直後までここに流れていた三十間堀川という川にかかっていた橋の橋脚の下なのです。空襲で廃墟と化した東京の瓦礫の処理のため、川を埋め立て、用の無くなった橋の下が地下街になったわけです。(川が埋め立てられる前の米軍撮影の航空写真が国土地理院の下記サイトで閲覧できます。)

私が十代の頃は、消毒液の匂いのする映画館や立ち食い飲み屋などが軒を並べた謎めいた空間でした。今では映画館も名画座のようになり、近くの焼肉割烹店も小さな出店を出して、ランチにもサラリーマンで一杯です。けして立派な場所ではありませんが、いわくありげな存在感があります。銀座は元はと言えば江戸時代の埋立地、数寄屋橋の所に江戸城外濠、三原橋の所には堀川、そして東銀座の首都高の所を築地川が流れていました。今とは風景の違う水の都だったのでしょう。そんな面影を僅かに匂わせる三原橋、そんな所が小奇麗に姿を一新するのではなく、昔ながらに生きているのは都会の変化の歴史を感じさせてくれます

オフィスビルや駅、空港などは便利で、合理的なのが良いでしょうが、人が生活する街は合理的なだけでは、愛着がわきません。街の再開発では時間の経過を感じさせる“謎めいた空間”なども仕込む工夫があると良いと思います。

国土地理院:国土変遷アーカイブス:

http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M142-A-5No2&photono=30

お客様が聞きたい事を、語る

体験的営業技術

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お客様に製品を説明する時、売り手の思いであれこれ製品を語り、熱心に説明するのですが、結局製品は買ってもらえず「物が良いから売れるとは限らない」と自分を慰める時がありました。

後年、セールス手法のトレーニングがあり、「製品を売るのではなく、ソリューション(お客様の抱えている問題の“解決策”)を売るのだ」という事を教えられました。つまりお客様がどういう問題を抱えているのかを知ることが第一歩だという訳です。確かにコストダウンにしても、時間短縮にしても、お客様の現状に何も問題がなければ、どんなに最新のすばらしい製品でもお客様が“ほしい”と思う事はありません。

例えば、設計時間の短縮が現状の問題だと分かれば、提案しようとする製品が設計時間の短縮にいかに役立つかを説明します。そのため役に立ちそうな機能をたくさん語ろうとします。しかし、私の経験ではここで重要なのは機能の多さがではなく、相手が期待している事が可能かどうかです。つまり物を買おうとする人は、既に自分で問題解決のためのアイディアを何かしら検討していて、それを実現してくれる製品を探している。だからいろいろ機能を並べ挙げられても、自分のアイディアが実現できるかどうか知りたいので、それ以外のための機能は余分でしかないのです。

もちろん、提案している製品がお客さんのアイディアよりも良い事が実現できる場合もあるでしょうが、そのような検討を最初にお客様に求めるのは高望でしょう。自分のアイディアが実現できるという事が確認されて始めて、別の可能性を検討する余裕が出るというものです。既にお客様が検討した所から出発するのが一番自然です

ですから、ソリューションを語るためには、自分のシナリヲを語るのではなくまずお客様は何を聞きたいと思っているのか、を聞き出す必要があります。その期待している事が実現できる事をまず語れば、以後の製品説明もスムーズに相手の耳に届き、製品の良さを分かってもらえるだけでなく、問題解決に協力してくれるという信頼も得ることが出来るのです。

目先を変えるのも、良い

助けられた言葉

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建築家を目指して受験した大学に落ちて、浪人生活を始めた時、久しぶりに訪ねた中学の美術のO先生は「一つの事に向かって努力するのは良いけれど、それが上手く行かなかった時には、目先を変えてみるのも、良い」と言われました

先生は一浪するのは良いが、一つの事に拘り過ぎて二浪、三浪してはいけない。まだいろいろな可能性があるのだから精一杯やった結果によっては、気持ちを切り替えて違った道を選ぶのも必要だし、それが良い結果を生む事もある、と言うのでした。

建築家としての才能を見透かされていたのかもしれませんが、励ましを期待して訪ねた先生に、「今度だめだったら、別の事をした方が良い」と言われ、複雑な気持ちになりました。しかしお陰で一年後、希望の建築学科に再度落ちた時には、拘りなく別の大学の機械工学科に進学しました。

日本のロケット開発の先駆者である糸川英夫博士は“研究テーマは10年ごとに変える”事にしていると言われました。才能と能力に恵まれた博士の事ではありますが、一つの事に拘り過ぎてはいけないという事だと思います。博士ほどではありませんが、18年技術者として勤めた会社を辞めた時、同種の仕事ではなく、営業の仕事を選びました。お陰でそれまでとは違う経験ができたのだと思います

先が見えず、思い通りにならないことの多い世の中では“石の上にも三年”、一つの事を身に付けて自分なりの達成感を得たら、それまでとは違う道に取り組む、というライフスタイルが良いのかもしれません。そのために新しい事に取り組む好奇心と柔軟性を持ち続けたいものです。

富士はもう雪

お勧め

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暑かった夏は遠くに過ぎ、めっきり秋らしくなってきました

久しぶりに富士裾野、富士急十里木(ジュウリキ)高原別荘地内にあるお蕎麦屋さんに行ってきました。途中の自衛隊東富士演習地一帯はススキ河原になっていて、ススキの海に浮かぶ富士山は先週雪が降ったそうで早くも雪の装いでした。時は確実に巡ってきます。

お蕎麦屋さんは別荘地内の八幡神社近くにあるのですが、都内有名デパートの紳士服作りを仕事にしていた方が第二の人生は自分のペースでと奥さんと始めたお店です。お店に入るとカウンターとテーブル席が4つほどの広さですが、カウンターの前には広い一枚ガラスの窓があり、季節を通じで裏庭の林の中を飛ぶ小鳥達を観ることができ、格別のゆったりした時間を過ごすことができます

ネットでの紹介などもしていない店なので、連休など近くのサファリパークが混む日以外はなじみ客しかいないので、食事後にご主人ご夫婦とお話しするのも楽しみの一つです。いわゆる脱サラお蕎麦屋さんですが、お蕎麦は素材、舌触り、温度、そばつゆ、器類ともに1級です

私が良いと思うのは、特に蕎麦の盛り付けです。美味しい蕎麦であればある程、蕎麦はそばつゆをあまり浸けない方がおいしいと思うのですが、そのためには蕎麦をある程度長くつまみ上げないと、そばつゆの中に半分ぐらい浸けて、素早くツルツルと食べることができません。一つまみが多いと蕎麦がジャバとそのままそばつゆの中に入ってしまい、そばつゆに丸ごと浸かったそばを食べることになります。つまり箸で蕎麦をつまむ時、蕎麦が数本の束ごとにまんべんなく、ばらついて皿盛られていると、蕎麦をつまみスルスルと長くつまみ上げることができます。

御主人は「良い生地でないと、良い服は作れない」とイタリア人職人に仕込まれたそうで、服作りでは数字でなく手触りの感覚で生地の善し悪しを判断できる職人の自負を持ち、蕎麦作りでも“手先の仕事”に拘っています。蕎麦の盛り付けも意識してやっているのか、自然とそうなっているのか分かりませんが、手先の仕事の気づかいを感じる蕎麦なのです

このブログも今年1月にはじめ10カ月目に入り、この18日には10,000アクセスを超えました。つれづれ事でなく、今までの経験、今思う何かを自分なりにまとめられれば、面白く読んでもらえる事もあるのではないかと始めたわけですが、2日に一回の更新ペースがほぼ守れているのも見ていただいている方々がいるという励みあればこそ。日記であれば三日坊主で終わっていただろうと思います。有難うございました。そして今後とも宜しくお願いいたします

救急ヘリ

社会問題

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2010年度の各省庁の概算要求が出て、いよいよ予算編成が本格化します。戦後60年官僚と一部政治家のものであった国家予算の決定過程を日々新聞テレビで見聞きできるのは、なんともドラマチックで、これだけでも政権交代で得したように思います。

残念ながら800兆以上にまで膨れ上がった国債依存の予算体質を政権与党が変わったからといって、一度に無借金経営に戻すことはできませんが、まずは予算を膨れ上がらせない中で豊かな社会のためのメリハリのある予算にしてもらいたいものです。

そのためには「発想の転換」が必要でしょう例えば医療、自民党政権時代に医療費削減の為にいろいろな策が講じられましたが、それらが医師不足、医師の偏在など、いろいろな弊害を生みました。だからと言って単純に元に戻すのであれば医療費の負担が元に戻るだけです。本来コスト削減はやり方を変えて、改善して、同じ事をより安いコストで実現する事です

都会への人口集中がやまず、地方の過疎化が進む中で、医療は高度化していますから、地方の市町村の中には総合病院を維持できなくなる所は出てくるでしょう。その中で地方の病院の水準を都会の総合病院と同じにするためには大きな公費負担が必要になり、財政の破綻に行き着くでしょう。この流れを切り替えるためには“同じ水準の病院”を期待するのではなく、都会の病院と市町村の病院を効果的に結びつける必要があります

最近話題になる救急ヘリ(日本ではドクターヘリと言うらしい)NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長の國松孝次氏(元検察庁長官)によれば救急ヘリは出動後平均8分で医者と患者出会い、治療が始められるので1)救命率が高まる、2)早めの治療により予後の状態も良くなる、という効果が明らかなのにも関わらず日本での普及は進んでいないそうです。ヘリコプターと聞くと配備にコストがかかるのではないかと思いますが、1機約二億円で一県1機配備しても約百億円、出動可能回数から逆算すると70円~80/一人・一年程度の負担でしかないとの事です。

救急ヘリの配備は他の国に比べ遅れています。普及も進んでいません。前例があると予算が付き、前例がないと予算が付かないという習慣に決別し、事の善し悪しだけでなく、もっと良い方法がないのかという見方でも予算は評価していきたいものです。

和菓子

お勧め

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日本橋近くに行く用事があると、寄る所があります。東京駅八重洲口から日本橋高島屋に向かう道の途中にある「長門」という和菓子屋さんです。間口二間ほどの小さなお店ですが昔からのお店で、いつも誰か先客がいます。

もちろんいろいろな和菓子があるのですが、私のお気に入りはワラビ粉を使ったくず餅です。もちろん洋菓子も好きですが、年齢とともにケーキ類よりも和菓子の方が胃にやさしく感じられるようになり、好きになってきました。

金平糖などの砂糖菓子が入ってくる前は日本の菓子は木の実や果物だったといわれます。このくず餅もワラビ粉が入っているせいか普通のくず餅より柔らかく、きな粉をかけるだけの素朴な甘みが魅力です。

実はこのくず餅が好きなのはその美味しさもあるのですが、昔ながらの“包み”が理由でもあるのです。もちろん昔と違って衛生上の配慮からか、くず餅自体はプラスチックのフィルムに包まれていますが、お店の包装紙に包まれ化粧紐で結ばれています。今では少なくなってしまった、このような包装を解いてお菓子を取りだす手順も、一つの味わいの工程なのです

今は甘みのはっきりした個性豊かな「スイーツ(洋生菓子)」ばやりですが、なめらかで穏やかな味の和菓子にも生き残ってもらいたいと思います。

それは、あなたの責任!

社会問題

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ツール・ド・フランスを扱ったドキュメンタリー映画:マイヨ・ジョーヌへの挑戦は紹介しましたが、その中でレースとは関係ない事で驚いた事があります。

ツール・ド・フランスは毎年フランスを中心に3,400から3,500Kmのコースを3週間余りかけて闘い続けます。日本で考えれば本州一周のような自転車レースですから、コースとなる道路は一般道で、時にはセンターライもないような狭い道路も使われます。映画でも地方の村の中を自転車が列をなして疾走するシーンが何度もありました。

そんな中で村の中心街のコースを警備している婦警さんの態度に興味を持ちました。婦警さんは幼児を連れた見物客に向かって「その子が道に出て事故があったらどうするの!」「それは、あなたの責任です!ここで撮影されている事に気がついた周りの人が『映画を取っているから、にこやかに!笑って!』などと取りなそうとするのですが、婦警さんは観光客と思われるお父さんに向かって「早く、子供の手を取って!」と叱りつけています

婦警さんはレースの警備はしているが、見物に来る人の安全まで保証していない、という立場なのでしょう。確かに数多くの見物人の面倒までみていたら警備に必要な人数はけた違いでしょう。それでは本州一周に等しい大レースなど開けるわけがありません。「見物人は自分の判断で身を守れ」これは至極当然な考えでしょう。この見方でレース風景を見直してみると、スタート地点やゴール周辺には警官がいますが、途中のコース上にはそれらしき警備員は見当たりません。コースを区分けするロープさえ張られていないようです。

公の「子育て支援」の必要性が高まる中、モンスターペアレントに代表される反社会的権利主義者への対策も必要なのではないでしょうか

でも僕はレースが好だ

お勧め

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ツール・ド・フランス100周年記念大会のドキュメンタリー映画「マイヨ・ジョーヌへの挑戦(原題HELL ON WHEELですから“自転車レースの修羅場”というところでしょうか)」を観てきました。

ツール・ド・フランスは毎年7月にフランスを中心にスペイン、イタリアなど周辺国を含め3週間ほどに渡って開催される自転車のロードレースでタイムトライアル、山岳などいろいろなステージがあり全行程3,000km、高低差2,000mmの過酷なレースです。新人賞、山岳賞などいくつかの賞があるのですが、個人総合時間賞がマイヨ・ジョーヌとよばれ黄色のジャージが与えられます。最近は日本の選手も参加しており、日本でも総集編がテレビで放送されています。

この映画は2004年のレースを勝敗よりもドイツチーム(正確にはドイツテレコムチーム)の日々を追うという切り口で映画化されていました。そもそもロードレースでは風を受けて走る先頭の選手の体力の消耗は激しく、78人のサポート役が順番に先導してチームのエースを守り、最後にエースがスパートして勝敗を決する、というのがレースの展開です。

勝敗に焦点を絞ったドキュメントは当然各ステージでの各チームのエースを追うので、エキサイティングなシーンはありますが実際のレースがどのように行われているかまでは分かりませんでした。この映画ではサポート役の選手一人ひとりに何が起こったのかも語られるので生の現場の感覚、まさに修羅場の感じが良く感じられました。選手は言います「最初の一週間でみんな転倒する」。パンツが裂けお尻を半分出しながら走り続ける選手が写ります。別の選手が言います「骨折したら休んだ方が直りは早いし、良いに決まっている、でもこのレースは違う、骨折しても休んではいられない」。トレーナーの老人は「2週間目までは何とかなる、勝負は3週目に入ってからだ、脱落がはじまる」選手をマッサージしながら語ります。

夏の過酷なレースですから水の補給も問題です。サポート役の一人が伴走車から水のボトルを走りながら受取りジャージの背中に入れて、チームに位置に戻り皆に配ります。その数20本近くまるで背中が曲がったように見えるくらいの量です。

この後エースが終盤で風邪をひき、チームは思いがけない苦戦に陥るのですが。勝敗よりも私の印象に残ったのは、体力のピークを過ぎたサポート役の中堅選手が語る言葉でした「練習は一生懸命やる、でもそれでも届かない所はあるのさ。アームストロング(個人総合優勝者)やウルリッヒ(山岳ステージ優勝者)のようなわけにはいかない。彼らは違うのさでも僕はレースが好きだ。出来るだけ長くレースをしていたい。そしてまた来年もここに戻ってきたい。」

爽快感の残る映画でした。

建築文化財

体験レポート

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今年9月、東京丸の内ビジネス街の南西に三菱1号館が復元されました。今(来年111日まで)竣工記念で開かれている「一丁倫敦(ロンドン)と丸の内スタイル展」を見てきました。三菱1号館は明治23(1890)に三菱社が丸の内一帯の土地の払い下げを受けて、日本一のビジネスセンター建設を構想し、その最初に建設された赤レンガ造り3階建の商館です。順次道路沿いに同じような商館が建ち、10号館くらいが建つ明治の終わりにその一帯が一丁倫敦と呼ばれるようになったそうです。

ちなみに大正に入り大正3年(1914年)東京駅が完成すると、旧丸ビルなどの20世紀的で機能的なビルが立ち並び丸の内ビジネス街の中心が北東の方に移ると丸の内は一丁ニューヨークと呼ばれるようになったそうです。

建物は三菱との関係が深いジョサイア・コンドルの設計ですが、戦後の高度成長期に建て替えられている事もあり、復元と言ってもほとんど全ての部材を新規に製作したので、ディスニーランドと同じだという声もあります。しかし三菱グループのランドマークとして意味は高いのでしょう、レンガも当時の製法で再現したこだわりには敬服します

ただ可能な限り忠実に復元された建物が有効に使われるか、というと点では疑問を感じました

1.   建物内部は一つ一つの部屋が小さく、美術展などの利用では展示方法に制約が大きいだろうし、来場者が多いと会場整理が困難。

2.   2階に男子トイレ、3階には女子トイレと分かれているので余計な上下階の移動が発生。

3.   窓面積がもともと少なく、室内照明も限られているので、部屋が暗い。

4.   1階の床高が高く、スロープもないのは時代に逆行。

イギリス出張の時に立ち寄った美術館は、外観は20世紀初めの面影を残し、内部は完全に新しく設計されて使い勝手も良かったのを思い出します。保存、再現も重要ですが街中の建物を復元するのであれば、都合良く利用できるように作り上げるのが再生ではないでしょうか。

近くでは東京駅、旧中央郵便局の再開発が進められています。これらが是非、未来に対し新しい命を与える再生になってもらいたいと思いました。

マスコミ報道

社会問題

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民主党への政権交代が行われて3週間ほどが経ちます。短いようでもあり、各大臣そして鳩山首相の矢継ぎ早の行動もあり、この間話題を欠くことのない毎日でした。お陰でずいぶん時間が経ったようにも思います。そんな中で一つ気がついた事があります。テレビにしても新聞にしても、民主党の(というよりは連立政権の、と言った方が良いかもしれません)行動に対して、賛成・反対の立場の報道があるわけですが、反対の立場の報道が意外に自由にされている事です。

テレビの報道番組など司会者にしてもコメンテーターにしても、「ムダはいくらでもあると言っていたのに、補正予算の削減が予定に達しないのはなぜですか?」と辛らつな質問を閣僚に問いかけているのを何回も見ました

自民党政権時代には、記者会見にしてもテレビの番組にしても閣僚がハッキリとした発言をする事はなく「前向きに、善処を検討したいと思います」といった、真意がどこにあるのか分からない発言がほとんどでしたまた報道機関も答えにくいような質問をあえてする事もなかったように思います。たぶん閣僚や政権党に嫌われて、以後番組に出演してもらえないなど意地悪を受けるのを恐れていたのかもしれません

CBSドキュメントなど海外の報道番組を見ていると、記者の質問は辛らつです。そんな事を聞いて良いのか、というほどの直接的な質問をします。相手が怒ってしまっても真実に迫るためには仕方がないと考えているようです。時として日本人には違和感を感じるような不躾な質問もあります

政権交代の効果をまだ実感する事はできませんが、この報道の自由さは予期しなかった今までにない効果ではないでしょうか。いわゆる政権党の長老や閣僚経験者には報道機関も国民も「お上」という意識で奉っていたのではないでしょうか。最近は「なんというの!?」とか、「みんなでやろうゼ!」とか仲間内言葉を公に使うのが率直な態度と考えている人もいるようですが、報道機関は品位のある表現で辛らつな質問を、時には不躾を恐れず政権党に投げかけてほしいし、政権党にはそのような質問にも、冷静さを失わず的確に答えていってほしいものですそれこそが率直な意見交換で、真実に迫るためには必要な事なのですから

電気自動車 2

社会問題

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電気自動車に熱心だったポルシェ博士も、エネルギー密度(1Kgあたりの蓄電可能な電力量)の低い蓄電池では走行距離が伸ばせず、代わりにガソリンエンジンで発電しながら走る「ガソリン・電気混成車」を開発しました。しかしその後航空機用エンジンの開発を通してエンジン技術を磨き、以後電気自動車に戻る事はありませんでした。

ただ、第二次世界大戦後の一時期電気自動車が復活した事があります。日本では立川飛行機(後のプリンス自動車、1966年日産に吸収合併)が、会社が多摩地区にあったことから「たま」という名前で電気自動車を量産しました。最高速度35Km/h、走行距離65Km、脱着式の充電池を採用し、充電時間の短縮を図るなど斬新な設計で、石油燃料が極度に不足していた時期に3,000台も普及したと言われています。しかし燃料供給状態が改善すると走行距離の伸びない電気自動車は姿を消してしまいます。

このように動力性能には優れる電気自動車ですが、その弱点は航続距離の短さで、この改善にはエネルギー密度の高い蓄電池が必要なのは明らかですが、近年まで蓄電池と言えば100年以上の歴史のある鉛蓄電池しかなく、大きな進歩は見られませんでした

そもそも電池など、それ自体には需要を持たない商品の開発は事業化が困難で乾電池の実質的発明者である屋井先蔵(ヤイ サキゾウ)も乾電池の用途が少なく苦労したそうです。ところが携帯型家電の普及とともに充電池の需要も高まり、それが新技術の開発を促進し1990年代に入ってニッケル水素電池(エネルギー密度が鉛蓄電池の2倍)、さらにデジタル機器用にリチュウムイオン電池(同3倍)が登場し、これが電気自動車の再登板を可能にしました。とはいってもデジタル機器で使うのと自動車で使うのでは必要な蓄電池の総量がケタ違いですし、自動車には振動、熱対策が必要になります。そこでハイブリッド車では比較的安定しているニッケル水素電池が利用されていますが、本格的な電気自動車にはやはりリチュウムイオン電池が必要だといわれています。今後の電池メーカーと自動車会社の研究開発に期待がもたれます

Nice to meet you.

英語体験

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東京文京区の印刷博物館(凸版印刷株式会社トッパン小石川ビル内)主催の「戦後教科書のあゆみ展」を見てきました。久しぶりで中学時代の国語、数学や科学などの教科書に再会し懐かしく思うと同時に、戦後6世代ほどある教科書の世代の中で初期の教科書を使っていたのだと、改めて自分の年齢を感じました。

最近の教科書はカラー印刷であるのはもちろんですが、体裁も雑誌のようで、かつての教科書らしさはありません英語の教科書を見てみると、内容も外国人に会った時の自己紹介から、ハンバーガー店での注文など、34回のやり取りを実例にしているのは「改善しているな」と感じました。

学校英語ができなかった言い訳ではありませんが、40年前の英語の教科書は英語を学術的に解剖する方法を教えることを目的としているような、まず実生活では助けにならないThis is a pen.などの文章が並んでいて、英語を通して新しい事を知る、好奇心を刺激するような内容は見当たりませんでした。そういう点では今の学生は恵まれている。

しかし、そこは教科書、作られた会話なので、現実の会話と比べるとやはり物足りなさを感じました例えば挨拶の場面です。Nice to meet you. My name is XXX.と会話が始まるのは良いとして、2度目に会った時の例がありません。私自身外資の会社で外国人に指摘されるまで気がつきませんでしたが、Nice to meet you.は「お会いできてうれしいです」であって、2度目に会ったときに言うのはおかしい2度目は「また会えてうれしいです」とならなければいけないのでNice to see you.が自然だ、というのです。

英語として正しいか、だけでなく会話の流れとして自然か、まで配慮した教科書が生まれると良いでしょう。もしくはいっそのこと英語圏で使われている教科書をそのまま使えば良いのではないでしょうか。

電気自動車 その1

社会問題

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鳩山首相の国連での温室効果ガス削減についての演説には賛否両論出ていますが、今可能な事を可能な範囲で行うではなく、必要な事を達成しなければならない所に来ているのは素人でも感じます。必要な事はいろいろあり、他国に比べ温室効果ガス排出削減に努力してきた日本は、より先端的な技術を実用化しなければならない立場にあります。

同じく民主党の高速道路無料化政策が渋滞を増やし、CO2排出を増やすと批判されていますが、常に高速道路通行料が無料となれば土日、休日に利用が重なり渋滞する事も減ると思いますが、どちらにしても必要な車の通行で発生するCO2を削減しなければなりませんCO2排出削減を進めるために、既に存在している高速道路を使わないというのは、解決策ではありません。

先端的な技術の実用化の一つが電気自動車です。高速道路を有効活用しながらCO2の排出削減をするためにはガソリンやジーゼルエンジン車から電気自動車への移行を急速に行う必要があるでしょう。2010年には各社から電気自動車が発売されます。いまから電気自動車の利用促進を進めるためにどのような政策が必要か、政治家には考えてもらわなければなりません

実は電気自動車自体は新しいものではありません。スポーツカーの「ポルシェ」を生んだフェルディナント・ポルシェ博士が1900年のパリ万博出展に合わせて作った最初の車は電気自動車でした。実にこの時24歳、ブリキ職人の息子として生まれ独学で電気の勉強をして、18歳で電気器具製造会社の見習いになり、22歳で馬車製造会社に転職して2年で車を作ってしまうのですから、天才は違います。

はじめての自動車と言ってもホイールの中にモーターを仕込んだ、現在の最先端電気自動車と同じ原理で、当時の電気自動車のスピードレースでベストタイムを出してしまうのですから、才能の桁が違います。そして次に航続距離を伸ばすために開発したのが、「ガソリン・電気混成車」今でいうハイブリッド車です。これでもレースで優勝し、時のオーストラリア・ハンガリー帝国皇帝に認められる事になり、より大きな研究開発の場を得ることになります。

という訳で、100年前から動力源として電気モーターが多くの利点を持っている事は認められていたわけですが、電気自動車が普及するためには大きな問題を乗り越えなければなりませんでした

(次回に続く)