Profile : 高度成長期に学生時代を過ごし、オイルショックで就職に苦労するも、右肩上がりの80年代をモーレツ社員の一員として働き、気がつけばバブル崩壊、希望退職で外資企業に転身して14年。
「世界の中の、明日の日本と日本人」をテーマにしている56歳。
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生活の目標
心構え
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“ど根性何々”として、おかしな場所に生えた植物が紹介される時があります。この例に倣えばわが家のど根性ユリが左の写真です。といってもとっくに花の時期は過ぎてメシベの部分だけが残って膨らみ、先が割れた状態になっています。根元は家の土台の割れ目に取り付いています。5、6年前からこの場所に生えるようになり毎年花を咲かせています。いつもは花が咲けば取ってしまうのですが、今年に限って受粉したらどうなるのだろうと、残しておきました。
先週私は一歳年をとりました。若いつもりでいても時間は不公平なく確実に訪れます。じっと鏡を見れば、顔のシワは深くなり、数も増え「やはり相応の年になっている」と思います。この所雨が降っていなければ近くの海岸をランニングし、家に戻ってストレッチをするようになり、子供の時よりも体は柔軟になり、ランニングも楽になってきたので体調は良いのですが、体調が良いのと加齢とは違うのでしょう。花が終われば元気に実を付け終末を迎える準備をすべきなのです。そろそろ私も生活の目標を切り替える時期に来たのでしょう。
先が割れたユリのメシベだった部分の中にはユリの種があります。種は非常にうす~い空飛ぶ円盤の様な、中心に直径3ミリぐらいの黒い種があり、それに2ミリ幅ぐらいのうすい帯が帽子のツバの様に付いています。これが割れ目からはじき出されると空中にひらひらと舞って遠くまで飛んでゆきます。巧妙なのは種のはじき出されるメカニズムです。気が付いたのですが先が割れたとは言っても割れ目には細かい針状の突起が付いていて、普通の状態では種が外にこぼれ落ちないようになっています。またユリは枯れて乾燥しているのですが、茎は堅く、風に吹かれたり物にあたったりすると根元を中心に大きく振動します。
こうしてユリの種の円盤は先端の裂け目から空中に発射され、空を舞うのです。風に吹かれたのであれば風に乗ってとぉ~くに飛ぶ事でしょう。ユリは元気に枯れていたのです。顔のシワの事を考える前にやる事がありそうですコーチング
心構え
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15年ほど前に私が日本企業から転職した外資企業では、社内教育が重視されていました。その会社がITアウトソーシング(企業や行政の情報処理システムの構築や運営を一括して請負う)を主業務としており、業務の質が業務に携わる社員の質に依存していたからだと思います。
専門技術教育に先だった、まず会社の価値観、ポリシーなどの教育に合わせリーダーシップ教育がありました。これは日本企業の管理者教育とは少し異なり、リーダーシップ教育と言っても上意下達の管理手法ではなく、チームメンバーとしていかに効果的に仕事し、チーム目標を達成するか、その時の行動指針、考え方といったものです。もちろんチームの中でチームを引っ張っていくような場合を想定した指導法も含まれました。しかし、それは日本的な適切な指示、命令を如何に行うかではなくコーチングと呼ばれるものでした。
コーチングはスポーツ選手のコーチの指導のように「人(同僚)を目標達成に導く」手法で、動機付けを重視し、人が自ら気づいて、自ら問題を解決してゆけるように、如何に方向付けるかという技術です。当然人によって目標達成を阻害している問題は違うので、画一的に何かを教育すれば良いというものでもなく、永続的な上下関係の中での指導でもないので、一方的に解決策を与えるのではなく、適切な解決策を生み出せるような思考回路作りを支援しなければなりません。
いくつかの指針を挙げると、
1. 批判をするのではなく、現状の問題に気付かせる
2. 他のやり方がなかったか考えさせ、選択肢を増やす癖をつける
3. 決めつけている事があれば、取り除いてあげる
4. 主体性を重んじ、進捗状況を自己チェックする癖をつける
5. 簡潔な報告ができるようにする
6. 一つの事実にも複数の見方がある事に気付かせる
7. 目標を示すだけでなく、そこに至るヒントを提示する
8. 実施可能な小さな変化を提案する
などで、複数の選択肢から適切な策を実行し、過ちは即座に認め、訂正し、失敗から学ぶ、という主体的行動パターンの確立が目標です。
カリキュラムに応じて決まった事を教えれば良いのと違い、反応に応じて、いろいろな角度から次に与える刺激を考えなければいけないので、時間はかかりますが人を育てるという点では急がば回れのようでした。
力になる継続は、どのくらい続ければよいのか
心構え
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「継続は力」と言いますが、一つの事をどのくらい続ければ力になるのでしょう。
これは大学受験の時の大きな関心事でした。しかし、この時は受験には失敗したくないので、必要十分な勉強時間を見極める危険は冒せませんでした。
社会人になって10年ほどして、仕事で英語を使わなければならなくなった時、別項で紹介しましたが話す方はBasic Englishのおかげでどうにか意思が伝えられても、聞く方がダメでした。話している言葉が聞き取れないという前に、30分も聞いていると頭の芯が疲れて、意識が散漫になり言葉に集中できなくなります。これでは英語でトレーニングを受けたり、何かの折衝をするなど無理で仕事になりません。
そんな時、アルクという会社がやっていた(今も在るようです)ヒヤリングマラソンという通信講座を知りました。本来は1日3時間英語の教材テープを聞いて、1年間続けて1,000時間というヒヤリングのコースです。しかし忙しい仕事の中で1年間続ける自信がなく躊躇していたところに、簡易版500時間マラソンコースというのが登場したので、まずは半年続けてみる事にしました。
半年続けてみると、頭の芯が冷えてしまう時間も30分ではなく2時間ぐらいに伸びました。こうなれば休憩時間を置いて1日打ち合わせをする事もできます。もちろん後年外資の会社に転職した時にはさらに別の試練があったので、本来はやはり1,000時間は必要なのでしょう。
という事で、私は「1日3時間、1年で1,000時間続ければ何かしら身につく」と思っています。そんなところに先日、「天才!成功する人々の法則」という本の書評を読みました。この本は傑出した人々の秘話を通して、成功する法則を紹介しているというのですが、その中で“作曲家やチェスのプレーヤーら様々な分野の成功者たちの多くは、その分野に精通するまでに1万時間、同じ事を繰り返していた。1万時間と言えば、(1日3時間として)だいたい10年間です。”という紹介がありました。
1日3時間を10年、なかなか容易ではないでしょう。しかし、長寿国日本において10年続けられる事を見つけられれば後半生は有意義になるかもしれません。
「将来」の選択
心構え
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日本の高度成長が始まった1959年、都会で働く人々が住む町と言う意味でベットタウンという呼び名が使われ始めたころ、私の一家は東京から千葉の北西部、流山市(当時は町だった)のはずれに引っ越しました。町外れと言っても近くに常磐線(じょうばんせん)の駅がありました。この常磐線は茨城県と福島県の県境周辺にある常磐炭鉱で産出される石炭を東京に運ぶ目的で1895年ごろから建設がはじまり1905年に全通した路線です。新橋・神戸間の東海道線が開通したのが1889年ですから、まだ鉄道網の発達する初期段階に開業した路線だと思います。
その流山は江戸川と利根川に挟まれた地帯であり、古くから江戸への水運で栄え、味醂(みりん)など醸造業でも有名だったそうです。そこに降ってわいた鉄道敷設、今であれば土地が値上がりして、町も発展、万々歳となるのでしょうが、当時は蒸気機関車の時代、火の粉が茅葺屋根に飛び火して沿線の家が火事にあうなどの被害もあり、鉄道敷設反対派が多数を占めて、結局常磐線は流山を避けて隣町を通る事になったそうです。しかし、鉄道が開通すると物資輸送は鉄道に奪われ、特産品の出荷には距離を置いた駅まで運ばなければならず、鉄道路線から取り残された流山は1913年町民の出資で流山軽便鉄道を設立、1916年常磐線に接続する流山・馬橋間(現流鉄流山線)の運行を開始する事になったそうです。
話変わって、現在私の住む地域からさほど遠くない場所にあった工場跡地の再開発が急にあわただしくなりました。以前大型スーパーを中心に専門店などの複合施設の開発が計画されたとき、近隣の住民は住環境が荒らされる、道路が渋滞する、と反対しその案は立ち消えになったそうです。ところが最近大型パチンコ遊戯施設の建設許可が下りて、住民は寝耳に水、何はともあれパチンコは絶対反対!となっているようですが、はたしてこの地域の将来やいかに?
人生の選択が難しいように、地域社会の「将来」の選択にも時代の変化を見極める長期の視点が必要のようです。
公人と私人
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先日、当選した新千葉県知事は自身の公約の実現性を記者に問われ、「恋愛してるときにふられることを考える人はいないでしょう。おれはやると言ったらやるんだ」と、意気込んで答えていました。確かに個人的な恋愛においてポジティブ発想は大いに結構です。最近の恋愛億病症の青年に良く言ってあげてほしい。しかし、知事としての発言として、これはちょっと無責任、少なくとも恋愛を例に引くのは適切ではないでしょう。当選した以上、公約の実現に向かって日夜努力する訳ですから、どのように公約を実現するかを語る義務があるでしょう。
夢がなければだめでしょう、というような事も言われていましたが、4年間の県政を託す県民を「夢」の一言で煙に巻いて良いのでしょうか。選挙民は公約を幻想ではなく、実現する計画として受け取り、実現した計画によって豊かになる、幸せになる事を信じて投票します。公人にならんとする人は、公人としての言葉の重みを分かっておいてもらいたいものです。
一方、民主党は小沢一郎氏の代表続投、で落ち着いてしまったようですが、民主党の「政権交代」という目標はどうなってしまったのでしょう。小沢一郎氏の秘書が政治資金規正法違反に問われ逮捕されたからといって小沢氏が罪に問われたわけではないし、小沢氏の断固戦うという姿勢も理解できないわけではありません。もし小沢氏が私人であれば、小沢氏の姿勢を支持し事の真相をはっきりしてもらいたいと願います。しかし小沢氏は自ら民主党代表として公人であり続けようとしており、この事と検察と断固戦うという姿勢は両立しないと思います。
民主党の期待通り次回選挙で民主党が政権をとれば民主党代表は首相として重責を負う事になります。日々数多くの判断を求められる首相が、同時に裁判を戦い抜く事が出来るのでしょうか。公人としては起こりそうな事を予測して適切な対応をしてこそ、信頼を得るはずです。代表続投を政権奪取の意欲なし、と感じてしまう人がいることも踏まえ民主党は判断すべきなのではないでしょうか。それだけ公人としての行動は重いのだと思います。
お値うち
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名古屋で仕事をしている時に知った言葉ですが、名古屋の人は「お値うち」という言い方をします。値段が単に安いというのではなく、その値段に対して値段以上の価値がある、という意味でしょう。値段が安い、という意味の「お買い得」とは違います。
例えば、私が好きな粕漬け焼き魚の和食店では食前に黒豆(ないし煎りじゃこ)や食後にジュース(飲酒運転の完全禁止以前は梅酒)が出されます。値段も1,500円から2,000円ですから定食ものとしては安くないので、そのような突き出しが出ても当然かもしれませんが、このようなメインの料理以外にも期待するものがあれば、同じ値段でも得した気分になれるというものです。また料理がおいしいだけでなく、器が良いとか、盛りつけの色合いが良いというのもありがたい事で、どうせ食べるならあの店に行こう、という事になります。
味噌煮込みうどんの場合はこうです、突き出しにお漬物が出るのですが、きゅうり、大根、カブなど3種類の朝漬けを希望に合わせて取ってくれます。味噌煮込みは土鍋で煮込むためか多少時間がかかるのですが、おいしい緑茶を飲みながら漬物をつまんで、うどんの到着を待つのは、一つのセレモニーのようなもので、味噌煮込みを食べるならあの店に行こう、という事になります。
世の中激安、激安と競争が激しいですが、値段だけが決め手になるのはさびしいように思います。値段が高いのも困りますが、適正な価格で、その値段以上の付加価値を提供する工夫、「お値うち」作りを競争するようになりたいものです。
彼岸と此岸
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先日、法事で読経の後、ちょうど彼岸時期であったこともあり和尚さんが「彼岸」について話してくださいました。
一般に彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地の事で、煩悩や迷いに満ちたこの世を此岸(しがん)と言うのに対し、三途の川の向こう側の極楽浄土を彼岸というようですが、和尚さんの説明はちょっと違っていました。和尚さんは左のような逆の樹状図を手に取り、話しました。多少長いのですが、記憶をもとに再録します。
(図の一番上の丸印を指しながら)あなたはお母さんとお父さんから生まれました。そのお父さん、お母さんはさらにそのお父さん、お母さんから生まれたのです。一世代前で2人、二世代前で4人、三世代、四世代と増えてゆき、五世代前では32人、十世代前では1,024人、十五世代前では32,768人ものお父さん、お母さんたちがあなたの今の存在を支えているのです。そのうちのだれ一人欠けてもあなたは存在しないのです。これが彼岸です。あなたが今いるこちら側を此岸と言いますが、あなたもいつかは三途の川を渡って彼岸の人になるのです。
と語ったあと、こうして繋がる命について年に2回、彼岸の1週間に自分について思い、そして「彼岸」の先祖について思ってみてはどうでしょうか、と話を結びました。
日頃はあまりにも理念的で概念としてしか考えていない「彼岸」が、現実的な樹状図を示された事によって、現実味を帯び、妙に身近な世界として感じられました。「彼岸」の意識の薄い現代は、逆に「此岸」の意識も薄く、死も軽ければ、生自体も軽いのかもしれません。命の流れの中で今を生きている、といった事を落ち着いて思ってみたくなりました。
輿論と匿名性
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最近は毎日のように世論調査が行われ、政党の支持率が変わった、だれが首相に適しているか、といった調査結果が発表されています。
この世論ですが、辞書では「社会の大多数の意見」という事になっているのですが、本来意見というものには責任が伴うはずで、たとえ何かの事件が起こったからと言って、その事件の意味合いも吟味されないうちに時々刻々意見が変わる、というのはおかしくないでしょうか。
また現代はメールやブログを利用した匿名の意見が氾濫しているのも気がかりです。私はこのブログを実名で書いていますが、多くの方々はブログを匿名で書かれていると思います。それはそれで個人情報保護の観点から薦められていることでもありますが、しかしこの匿名性が自分の意見に責任を持つ意識を低下させては人間同士の信頼関係を低下させてしまう事になるでしょう。もちろん人間同士の会話には常に責任が伴うとは限りません。その場の空気のような一時的な気持ちを交換する場合もありますから、匿名性を全て否定するわけではなく、責任の伴う意見と責任の伴わない気持の交換を区別すると良いのではないかと思います。
実は世論をセロンと時々読んで、ヨロンだと訂正される事があるのですが、先日京都大学の佐藤卓己(サトウタクミ)助教授の「『世論』はいま、ヨロンと読みますが、戦前は『輿論(ヨロン)=公的意見』、で『世論(セロン)=大衆感情』と区別していました。日本戦後史は“輿論の世論化”に他なりません。」という話を聞きました。つまり当用漢字の制定により輿論の「輿」が使えなくなったため新聞、テレビ、もちろん学校でも輿論と世論の選択が出来なくなり、全て世論と書いてヨロンと読むことになってしまった、というのです。
意見と気持ちという、二つの違った概念を表す二つの言葉を一つにしてしまった事により一方の概念がなくなりつつある。これは肌寒い事ではあります。やはり意見には責任を持ちましょう。受けが悪かったからといって、簡単に意見を変えたり、批判を受けると「そんなつもりで言ったのでは無い」と言い逃れするのはやめましょう。
天賦の才
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3月8日まで東京国立博物館で開催中の「未来を拓く福澤諭吉展」を見てきました。幕末から明治期に福澤諭吉なりに日本の未来を切り開くために、どの様に考え、どう行動したか、各種書簡や自筆メモを通して感じられる展示でした。
一方、時は受験シーズン。世の受験生には悲喜こもごもの審判が下っていることでしょう。今となっては「受験の成否で一生が決まるわけではない」と言えますが、自分の受験を思い出しても努力報われず『桜散って』しまった受験生にとっては、頭を切り替えて明日の事を考えるのは容易いことではないでしょう。
状況は異なりますが、留学する息子達に宛てた福澤諭吉の言葉が参考になるかもしれません。一部を記憶に基づいてご紹介すると、
「留学するに当たっては勉学を第一に考え、父母に万一の事があっても帰国には及ばない。天賦の才は人それぞれであるから焦ることなく、事を極めるまで励むように」
「勉学第一」、だけでなく「天賦の才は人それぞれ、焦ることなく励め」と語っているのが、単に頑張れというのとは違い多くの試練が予想される当時の留学にあって、気負いではなく腹を据えて事に当たる、落着きと勇気を息子達に与えたのではないかでしょうか。大学進学率が50%近くだと言われる現代、受験の失敗が集団からの孤立と感じてしまうかもしれません。しかし有名大学、大企業というレールが当てにならなくなってきた昨今、受験の失敗を集団から外れ一個人としての自己を確立するチャンスと捉え、頭を切り替えてはどうでしょうか。早い時期に自分の将来を考えるのは順調な進路を進むのに比べそれほど不幸ではないかも知れません。先の読めない不安定な時代ですが、先人の考え、行動を参考にして腹を据えて“未来を拓く”努力をしたいものです。
しごと体験
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製造業離れ、3K嫌い、若者の職業感は大きく変わり、フリーター、派遣社員がもてはやされて、昨今腰を据えて仕事を身に付けようという考えは不人気のようです。
このような傾向を憂えてか、厚生労働省が『私のしごと館』という施設を開設しました。この施設は「若い人たちが早い時期から職業に親しみ、自らの職業生活を設計し、将来にわたって充実した職業生活を過ごすことができるよう、様々な職業に関する体験の機会や情報を提供する」そうで、「触れて、体験」し「考え」、「学ぶ」参加型の施設だ、との事です。
しかし実態は小・中学生に対し簡単な仕事の疑似体験をさせる施設でしかありません。マニュアル化された本物風の作業から得られるものは、薄っぺらで安易な仕事の理解でしかなく職業生活の設計など望むべくもないでしょう。例えば伝統工芸の仕事として挙がっている京焼・清水焼では体験時間1時間の中で湯飲みに絵付けを行う事が出来き、後日焼きあがった湯飲みが送られてくる、との事です。このような体験内容は伝統工芸に限ったことではなく、先端技術として挙げられている宇宙開発の仕事なども含め、すべてこの調子です。
青少年にいろいろなチャンスを与えることも重要ですが、何の苦労もなく、強い欲求もないまま体験した事にどの程度の感動があるでしょう。マニュアル化された仕事を除けば、どのような仕事も簡単に身に付くものではなく、先輩の技術を盗みながら工夫して、身につけるものでしょう。時には辛く厳しい事もあるでしょう。青少年に職業生活を設計させたいのであれば、企業や工房などの現場で、まず仕事を一歩一歩身につける喜びと仕事への真摯な態度を学ばせる事が必要であり、その為のインターンシップ(就業体験)を拡充する支援制度を設けるほうが実質的で、本来の目的にかなうと思います。